ワルラスの法則はリフレ政策を支持するのか? 

少し前の話になるがリフレ派の飯田教授がシノドスにおいてワルラスの法則を「経済を考える勘所」と紹介している。(参照: 経済を考える勘所−−ワルラスの法則について )


氏の説明によればワルラスの法則とは

ワルラス法則は、「すべての市場の超過需要の和はゼロになる」と表現される。

ワルラスの法則を、もう少し具体的なかたちに書き改めると、「ある市場が超過需要状態であるならば、かならずどこかの市場では超過供給状態になっている」となる。

というものであり、その理論が正しければ

財市場と資産市場において、ともに超過供給(需要が足りない)にあるならば、それは貨幣市場において超過需要がある(貨幣供給が足りない)ことと同値になる。


日本経済の現状について、(財・資産市場での)需要不足を指摘する論者は多い。このような需要不足を指摘する論者のなかには、貨幣供給の不足について否定的なものがいるが、これは論理的に矛盾している。


需要不足を認めるならば、残された問題は、貨幣供給の不足をどのように埋めるのか、という点に絞られているはずなのだ。

という結論が導かれ、リフレ政策が正しいということになるらしい。


しかし筆者としてはこのワルラスの法則を基にしたリフレ政策への支持論は違和感を感じる。そしてその違和感の最大の源は消費財の超過需要・供給と貨幣の超過需要・供給を同列に扱っていることである。


Nick Roweが ”Unobtainium and Walras’ Law“というタイトルの記事でワルラスの法則批判をしているが、このUnobtaniumとは要は「Un(出来ない)+ Obtain(入手)+ nium (物質)」でつまりこの世に存在しない物質という意味である。 


以下、分かりやすく「Unobtanium = ドラゴンボール」とするが、つまり多くの人がドラゴンボールを欲しがったら、ドラゴンボールに対する需要が生まれる一方で供給はもちろんゼロなのでそれらは全て超過需要になる。そしてワルラスの法則が正しければ全ての市場の超過需要の和はゼロになるはずなので、ドラゴンボールに対する超過需要の分だけその他の市場では超過供給が発生することになる。ドラゴンボールの価値は計り知れないのでドラゴンボールを除く市場全体では大きな超過供給が発生し、結果として市場を混乱に陥れることになってしまう、、、

もちろんそんなことは起こらないのでワルラスの法則はおかしい、という話である。


ドラゴンボール市場はもともとこの世には存在しないのでワルラスの法則とは関係ないという意見もあるかも知れないが、別にドラゴンボールでなくても現時点での供給はないが需要は存在するものは幾らでも存在するのではないだろうか?


例えば「来週発売されるジャンプ」はどうだろう? 現時点では世の中には存在しないが確実に需要はある。この需要がすぐに満たされることはありえないが、お金さえ取っておけば来週満たされることはほぼ確実である。 そしてその為にみんなが小遣いを取っておこうと考えれば、貨幣と「来週発売されるジャンプ」を除いた市場には超過供給が生まれる。つまり将来の消費の為に現在の消費を手控えた結果、現時点で存在する市場だけを観測した場合「貨幣への超過需要」が生まれるわけである。


そして「貨幣への超過需要」の正体(の一つ)が「将来の消費の為の現在の消費の保留」であった場合、この超過需要は単にその分の貨幣の供給を増やしても本質的には解決されない。貨幣の量が増えることによって来週のジャンプが値上がりするのであれば、結局相対価格が変わるだけで需給のバランスは変わらず、貨幣以外の市場の超過供給が解消されたりしないからである。


現実問題として今日の貨幣供給を増やしても来週のジャンプがすぐに値上がりするわけではないが、貨幣・資産への超過需要というものが形を変えた「現在の消費」と「将来の消費」の間の超過需要・供給であると考えるなら貨幣の供給を増やして将来のインフレを誘発する政策が「現在の消費」への需要を高める(=貨幣への需要を減退させる)とは限らないはずである。


これは以前書いた「貨幣への超過需要の意味を効用関数とリアルオプションで考えてみる 」という考察と同根の話である。貨幣・資産といった消費されないものに対する需要は最終的には何らかの形で消費されてこそ効用を産むわけで、せっせと紙幣を刷ってその実質的な価値を希釈しても本質的な解決にはならないというのは当たり前の話のような気がする。 (凶作で米への超過需要が存在するときに米を小分けにして袋数を増やしても超過需要が解消されないのと同じ)


つまり消費財の需要・供給と貨幣・資産の需要・供給は性質が違い、入手(消費)すること自体に価値(効用)がある消費財への超過需要は供給を増やすことによって解消することが出来る(例:たまごっち)が、貨幣への超過需要は単に供給を増やすことだけでは本質的には解消できないという事になる。


もちろん経済は複雑であり、かつ人間は完全に合理的でもないので前提条件次第では紙幣を刷ることによって需給関係が改善するケースは恐らく存在するであろう。しかしそれは「波及経路(なぜそのような結論になるのか)や定量予想(効果を数字で表すとどのくらいになるのか)」のレベルで検証する必要があることであり、飯田先生の記事にあるようにワルラスの法則のような「多くの前提を必要としない基礎的な理論」は検証に多くの前提条件を必要とする波及効果や定量予想には答えることができないのであるから、ワルラスの法則をもってリフレ政策の是非を問うことは木に縁りて魚を求めるようなものであるというのが筆者の考えである。


(参照)

Nick Rowe氏による記事の全訳は道草さまの以下の記事に

想像とワルラスの法則 by Nick Rowe 
http://econdays.net/?p=3019

また同氏による過去のワルラスの法則批判はhimaginaryの日記様の以下の記事に詳しい。

[経済]すべてのミクロ経済学はセーの法則もワルラスの法則も間違えている
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20090927/rowe_on_says_and_walras_law


(追記)
池尾教授からのワルラスの法則に対する専門的な反論がアゴラに掲載されていたので追記

クラウアーの二重決定仮説(*ややテクニカル)
http://news.livedoor.com/article/detail/5309510/

尚、池尾先生は飯田先生が白川総裁がワルラスの法則とワルラスの一般均衡を勘違いしていると指摘していることについても、勘違いではないと述べられている。


ちなみにここで言及されている答弁は恐らく「備忘録・脱力ブログ」様で紹介されている衆議院予算委員会での答弁(参照:自民党山本幸三VS日銀総裁白川方明 の議論)のことと思われるが、この議事録を見る限り先に質問者である山本氏が

「今、GDPギャップが三十五兆円ぐらいあると言われていますね。物の世界で三十五兆円の超過供給の状況だ。そうすると、お金の世界ではどうなるんだと。ワルラスの法則というのがありますね、ワルラスの一般均衡。これは、あなたは御存じでしょうけれども、どういうことになるかわかりますね。」

と質問しており、いずれにしてもこれを白川総裁の単純な勘違いのように書くのは少しやりすぎであろう。