ワルラスの法則はリフレ政策を支持するのか?(補足)

昨日のエントリーへ頂いたコメントを読ませていただき、誤解を招く部分があったようなので2点程補足をしたい。


まずリンク先を読んでいただければ分かるが私が引用したのはNick Rowe氏のUnobtanium (ドラゴンボール)の話の途中までであり、「来週発売されるジャンプ」以降の話は筆者がそこから連想したものである。

Rowe氏のコラムの続きではドラゴンボール市場は存在しないから普通の人はドラゴンボールへの需要はあきらめて他のものを買う、つまり

何かを買いたいけれど、売り手がそれ以上売れないか売る気がないような場合、私たちは別の物を買うだろう。想像の物は買えないから、現実の物しか消費できないとみんな知っている。想像上の超過需要はあっても、現実の何かについて超過供給があるわけではない。ワルラスの法則は間違いだ。
http://econdays.net/?p=3019

とされている。 又、お金への超過需要については

お金だけは想像すると危険だ。お金がもっと欲しいけれど他の何か、たとえば労働力を売ってお金を得ることができないような時、私たちはお金不足を売ることでお金を得る、他の物を買う分を減らす。これが他の物の超過供給を引き起こす。

となっているが、前エントリーで書いた通り、この部分の筆者の解釈は少し違う。(本質的に違うのか表面上(説明上)違うように見えるだけなのかは微妙なところではあるが、)


筆者はお金への需要は基本的に将来の消費への需要が形を変えたものと考えており、「お金」そのものが欲しいからお金への超過需要が生まれるとは考えていない。

本文でも書いた「来週発売されるジャンプへの需要」はドラゴンボールと同じく、現時点では消費できないものであるが、将来的には満たされうるものであり、あきらめて「今週発売のマガジン」を買う必要はないはずである。 


もう一点は飯田先生の記事も、筆者の記事もワルラスの一般均衡を前提とはしていないことである。


ちなみに筆者はそういった均衡へと収束する圧力がどの程度有意なものかについても少し疑っている。 もちろんこの均衡から大きく外れた地点については収束する圧力が働くことは間違いないが、一定の範囲内であれば均衡への圧力は実際問題としては無視できる程度なのではないだろうか?

イメージとしては両脇が急斜面に囲まれた道を歩いているとして、斜面を歩き続けることは困難だが、一方でビー玉じゃないんだから道の最もくぼんだ場所を歩かないといけないわけでもないだろ、という感じなのだが、どうだろうか? 

筆者の中ではこのイメージはインフレ率にも当てはまっており、両極端以外の場所を歩く場合は、厳密に見て道のどこが最も位置エネルギーが低い(くぼんでいる)かよりは、他の要素(日当たりが強いとか道の整備が良いとか)の方がより強い影響を与えているという理解である。

(追記)
さらにもう一点補足。

よく読んでもらえば分かるが前エントリーはワルラスの法則上で「貨幣への超過需要」が観測されることに強く異議を唱えているわけではない。(Rowe氏は「くだらない」「間違いだ」と断定しているが、)

「ワルラスの法則は貨幣の超過需要を貨幣の供給で解消できるかどうかについては何も語っていないのではないか」というのが主たる内容であり、タイトル通り「ワルラスの法則はリフレ政策を支持するのか?」がテーマである。