日銀総裁の打率とスティーブン・ジェイ・グールド「四割打者の絶滅」

先日のエントリを書くのに高橋氏の昔の記事を探していたら「keiseisaiminの日記」さまのブログで、高橋氏が日銀総裁の成績?を打率に例えてつぶやいていたのを知った。

日銀総裁の打率というのは、任期月の中でインフレ率は0から2%の範囲に収まっている月数の割合。福井総裁2割5分。白川総裁1割9分。海外は6割以上当たり前、8割くらいだとGJ!
http://twitter.com/YoichiTakahashi/status/23660356731674624


これを読んで筆者が真っ先に思い出したのはスティーブン・ジェイ・グールドが書いた「四割打者の絶滅」という仮説である。


スティーブン・ジェイ・グールドは著名な進化生物学者で科学史家、そして偉大な科学エッセイストであり、筆者がものの考え方について最も影響を受けた科学者の一人である。

進化生物学者としての業績については筆者はよく分からないが、多元論的な考え方を基に複雑なものを単純化せずに複雑なまま、それでいて分かりやすくまとめた数多くのエッセイは秀逸であり、自分でも今後も何度でも読み返したいし、理解できるようになれば子供にも是非読ませたい。


筆者が還元論的な論に対して反射的に懐疑的・批判的なものを感じるのは氏のエッセイにその源泉があると思う。


それはともかく、グールド氏が名著「フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説」の中で述べた米大リーグにおける四割打者の絶滅に関する考察は結構有名らしく、Wikipediaの「4割打者」の項目でも紹介されている。

テッド・ウィリアムズ以降、メジャーリーグに4割打者が生まれていない理由として、古生物学者であるスティーヴン・ジェイ・グールド博士は、進化論の観点から興味深い仮説を立てている[1]。グールドは、打率が投手と打者の勝負の結果で決まる相対的な指標であることに注目し、以下のような仮説を立てた。
(事実1)レギュラー選手の平均打率は、どの時代でもおおむね2割台後半を維持している。
(事実2)レギュラー選手の打率の標準偏差は、時代が進むほど減少している。
(推論1)メジャーリーグをプロスポーツとして成立させるために、ルールの細かい改正が行われ、平均打率は一定の範囲内に保たれていた。
(推論2)初期のメジャーリーグでは多様な技術が試されたため、打率の標準偏差も大きかったが、最良の結果を残した技術のみが模倣されて多様性が減少したため、打率の標準偏差は減少した。
(結論)打者の能力は時代が進むにつれ向上しており、現在ではかつてないほど多くの人数が最良の打者の範疇に近づいている。そのため、最良の打者の打率と平均打率との差が小さくなり、結果的に4割打者は出現しなくなった。

この仮説によると、4割打者が消滅したのは、打者の能力が低下したためではなく、打者の能力が全体的に向上して野球というスポーツが成熟したことの証拠である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/4%E5%89%B2%E6%89%93%E8%80%85

上記の通りグールド氏は四割打者の絶滅を打者の能力の低下といった単純な捉え方でなく、複数の要因が均衡しながら影響しあった結果として説明している。


ここで「日銀の打率」論の基となった各国のインフレ率の推移をみてみる。 

グラフは世界経済のネタ帳様より


確かに日銀の近年の打率は他国より低いが、1980年代を見れば日銀の打率がダントツである。 これについては高打率の打者(日銀)が何らかの理由で不振に陥ったという説明もありえなくはないが、グラフを良く見てみるとそう単純な話でもないようである。

グラフから見て取れるのは日本のインフレ率が主要先進国の中で最も低い値をとる傾向が維持されたまま、インフレ率が全体的に下落し、各国間の標準偏差(ばらつき)も縮小しているという事実であり、日本が1980年代に高打率を残し、2000年代に不振にあえいでいるように見えるのは単なる「日銀の打力の低下」では説明しきれないように思われる。


このグラフの意味するものについては既に本ブログで何度か考察したのでここでは繰り返さないが、デフレ・リフレを巡る論争で欠けているのは、デフレの原因を日銀の金融政策に一元化するような議論ではなく、グールド氏の本のタイトルにあるように「フルハウス(全容)」をカバーする議論ではないだろうか?