失われたGDPはどこへ行ったのか?

デフレの弊害を強調し、マイルドインフレを維持することの重要性を示す例として、日本がデフレに陥った1990年代以降に名目GDPが殆ど成長していないことを指摘した上で、「もし、1990年代に適切な金融政策が行われ、マイルドなインフレと経済成長が実現していれば、今より遥かに高い名目GDPが実現していたはずである。」という主張が行われることがある。


リフレ政策に賛同されている「観の目つよく」様のブログの「失われたGDP」というエントリーでは、上記の論を以下のように数式とグラフで分かりやすく説明されている。 (又その他のリフレ派の方のブログでも「観の目つよく」様のエントリー程詳細な分析ではないもののほぼ同一の主張を拝見することができる。)

名目GDP成長率のトレンドを見ると、1984-90年では6%だった一方、90年代以降は0.12%と、ほぼゼロ成長となっている。仮に1992年以降も名目GDPが6%成長が続いた状態と比較すれば、日本は92年以来、GDPの総額は 約6800兆円も損をしていることになる。日本人口を1.2億人とすれば、一人当たりで約5700万円のGDP(=所得)が失われた計算になる。



http://tacmasi.blogspot.com/2010/11/gdp.html

グラフによれば計算により求められた2009年の名目GDPの外挿値は1350兆円となり、1992年以降ほとんど増加しなかった2009年の現実の名目GDPの約2.7倍となる。


ではこの外挿された仮想現実であるこの「超名目GDP日本」はどのような世界だろうか?


二つの曲線の乖離が始まった1992年の一人当たり名目GDPは約380万円、当時の円ドル相場(124円)で計算して約3万ドルであった。つまり「超名目GDP日本」で2009年に期待される一人当たりの名目GDPは約1000万円(380万円x2.7÷1.025)となっていたはずである。(当該期間の人口増は約2.5%)

為替レートがほぼ一定で維持されたとすると、外挿で期待された2009年の一人当たり名目GDP(USドル)は約8万ドルとなる。これはG7諸国で最も高い米国の更に約1.7倍である。


金融政策による景気刺激だけでこの並外れて豊かな日本が実現できたとは考えられず、この「超名目GDP日本」の実現には為替の下落(円安)が必須条件であったと考えられる。
ドル円相場が220円/ドルとなっていれば2009年の一人当たり名目GDP(USドル)は米国とほぼ同じ水準(46000ドル)となる。 この組み合わせ(名目高成長+通貨安)は前者のケースと比べると現実味があるように見えるし、円高とデフレをセットで諸悪の根源とする一部のリフレ派にとっては理想的かもしれない。


では、果たして適正な金融政策を取ることによってこのシナリオを実現することは本当に可能だったのだろうか?


1992年以降、実際の円ドル相場は(途中で乱高下があったものの)トレンドとしては円高へと推移してきたが、その逆風の中でも日本は輸出を伸ばし巨額の国際収支黒字を基本的には維持しつづけた。そのような状況下で大幅な円安へと誘導するには金融緩和や為替介入のような通貨流通量を増やす政策が必要だったと考えられるが、インフレ率・実質経済成長共に特に低いわけでもないこの「日本」で、そのような政策を続けた場合一体何が起こっただろうか?


その起こりうる一つの可能性については既に日本の歴史が示しているように思われる。

日本はプラザ合意によって急激な円高に見舞われ、1986年には実質GDP成長率2.4%、インフレ率0.6%まで下落するも、その後(当時としては)超低金利政策をとり続けることによって、1990年代前半にかけてマイルドインフレと空前の好景気を実現した。為替相場も120円台から160円台まで戻し、金融緩和によってマイルドインフレ、名目高成長、通貨安の全てを同時に実現するという(リフレ派的)快挙を達成したわけである。
但し、その過程で発生したのが不動産バブルであり、低金利によって市場に流れ込んだ資金の多くはインフレを加速させずに資産価格を高騰させた。そしてバブル景気が終わると海外投資や輸入が減少し、一方で輸出競争力は依然強力であったため、円相場は一気に円高へと戻った。

そして残ったのは銀行の巨額の不良債権と住宅ローンを中心とする家計の長期負債、そして円高であった。


結局「失われたGDP」の大部分は長期的に維持不可能な政策による虚像を更に外挿する事で得られた幻想にすぎないのではないかというのが筆者の結論である。