アルゼンチンの事例について(上念氏のTwitterでのコメントに勝手に答えてみる)

先日のアルゼンチンのインフレ抑制の事例について書いた記事に関して、Twitterで上念氏からいくつかのコメントを貰ったようであるが、正直なところ何を批判されているのか良くわからない。

カバロプラン=固定相場制を中心としたインフレ抑制政策 アルゼンチン危機=固定相場制に起因した経済危機 いずれも通貨政策という共通のフレームワークで説明可能です。私の著作でも両方解説してますよ。
http://twitter.com/smith796000/status/16834616237232128

カバロプラン導入後、アルゼンチン絶好調→その後、ドル高によってペソ高発生→輸出企業ボロボロ、税収減→デフォルト→固定相場廃止→インフレ率41%→インタゲ導入→インフレ率1ケタへ→奇跡の発展 #defle #デフレ危機_
http://twitter.com/smith796000/status/16835968799604736


上念氏自身も書いている通り、1980年代後半から2002年にかけてアルゼンチンで起こった一連の流れを簡単にまとめると以下のようになる。 


高インフレ → 固定相場制で抑制 → 固定相場制に起因した経済危機 → デフォルト 


ちなみに関連したレスをさかのぼって見てみると、アルゼンチンのインフレ抑制を「金融引き締め」の結果としているTweetがあったが、正しくは上念氏の指摘どおり固定相場制によるものである。 「固定相場制の導入」は「独立した金融政策を放棄した」ということであり、金融政策でインフレを抑制したのではない。 


「カバロプラン導入後、アルゼンチン絶好調」とあるが、リフレ派が重視する失業率を見てみると下がったのは1年目だけであとは急上昇しており、又デフォルトの原因となった経常赤字も固定相場導入後ずっと続いている。 どうやら「絶好調」のストライクゾーンも広いようである。



その後のデフォルトへの流れについては「ドル高によって」と対外要因であるかのように書いているが、なぜドル高によってペソ高が発生したかといえば、インフレ率を抑制するために固定相場制を導入したからであり、インフレ抑制の副作用である事は間違いない。


次の「デフォルト→固定相場制廃止→インフレ率41%」で何が起こったかといえば、名目GDPの大暴落であり、2690億ドルから一気に1030億ドルまで落ち込んでいる。 そして最後の「奇跡の発展」についても名目GDP(USドル)で見れば、2008年にやっと1998年のレベルに戻っただけである。



[世界経済のネタ帖様より]


日本もバブル崩壊時に名目GDPが半分以下にまで暴落していればその後「奇跡の発展」が達成できたかも知れないが、そんな「奇跡の発展」よりは失われた20年のほうがよほどマシだと思うが、ひょっとしてリフレ派の人はそう考えないのだろうか??

都合悪い事実を隠ぺいして、さもインフレがコントロール不能のように演出するのが目的としか思えない。ちなみに「コントーロール」というと「0.001%の単位でインフレ率を操作できるわけない」みたいな藁人形論法使ってくるので話にならない。#defle #デフレ危機
http://twitter.com/smith796000/status/16837316710502400


「都合の悪い事実」が何か思い当たらないのだが、固定相場制でインフレを抑制したことかな?? 独立した金融政策を放棄して固定相場制を導入することによって高インフレが一時的には抑制されたという事実は全く否定してはいないのだが? 

「コントロール」についても別に0.001%単位で操作しろとはどこにも書いていないし、そういうことを言う反リフレ派も見たことが無い。(これこそが藁人形論法の格好の見本では?)


ちなみにアルゼンチンの例では独立した金融政策を放棄しているわけだから固定相場制の期間にインフレ率が何%になろうと金融政策で「コントロール」したものでないことは明らかであり、そもそも細かなコントロール能力の評価の対象にならない。

金融政策によるコントロールでなく、「人為的な」コントロールの例として考えても、固定相場制でインフレ率を一時的に抑制したものの固定相場制が原因となってデフォルトしてたんじゃ「コントロール」もなにもないと思うが、違うのだろうか?


[参照記事]
リフレ派の極論に手短かに反駁する - 2
http://d.hatena.ne.jp/abz2010/20101216/1292498456

アルゼンチンの通貨危機と今後の課題
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/90000072.pdf