経済学者は野球評論家みたいなものではないのか?

筆者は経済学者はプロ野球評論家のようなものだと考えている。

プロ野球には選手から、監督、球団、審判、日本野球機構、コミッショナーと様々なレベルの関係者が存在し、各々が深く関連しながら独自の目的を達成すべく努力することで成り立っている。 これは経済の枠組みに結構近いのではないかと思い、対応表を作ってみた。



そして経済をプロ野球に例えるなら、(広義の)経済学者にあたるものは野球評論家になるだろう。


野球評論家の多くは元選手、監督であるが、記者、作家出身者やスポーツ科学、統計学、経営学の専門家も評論をおこなっているし、中にはファンあがりの評論家もいる。 明らかに特定の球団と結びついている評論家もいる。 そして評論家をやっていた人が監督や球団のGMにつくこともしばしばである。(注1)


野球評論家が評論するのは野球に関する全てであり、その対象は打撃論、投球論はもとより選手交代等の采配やチームの補強・育成方針、更には審判技術にまで及ぶ。そうした理論の中でも新たな変化球や投手の分業制、左対左のセオリー等の優れた技術・理論は実際に現場で広く受け入れられ、試合の展開を変えることもある。 そういった技術・理論は当初は有力であるが、すぐに真似されるし対抗策も練られる。そもそも左投手に強い左打者が居ないわけでもないので、一般的な理論としては弱い。(但しそういった各選手のデータに関係なく馬鹿の一つ覚えのように左対左のセオリーを守り続ける監督も居る。)


評論家はシーズンが終わったときにはその総括を行い、なぜロッテが日本一になれたのか、優勝候補だった巨人がなぜリーグ優勝すら出来なかったかについて様々な論点から解説を行う。 総括だけ聞いていれば、ロッテが優勝し、巨人が優勝できなかったのは必然のように感じる。
そして評論家は次のシーズンが始まる前には独自の取材や理論から各チームの戦力を分析し、シーズンの展望や優勝チームの予測を行う。 選手の能力はもちろん、控え層の厚さ、監督・コーチの能力、本拠地の特徴、夏場の日程、チーム同士の相性までありとあらゆる事を考慮してシーズンの展望を予測するわけである。 そして往々にして予測を外すが、シーズン終了後には又、その結果が必然であったかのような解説をする。 


経済学者と同様に評論家にも優秀な人間とそうでない人間がいて、日本における最優秀の野球評論家の一人が前楽天監督の野村克也氏であることは衆目の一致するところであろう。野村氏の場合、単なる後付けの解説にとどまらず、生放送の試合解説でも捕手の配球や試合展開をずばずば当てて驚かされることがある。しかもそれぞれに理論的な裏づけがあり、その解説のするどさに又驚かされる。
しかし野村克也氏をもってしても、シーズンの展開はなかなか読みどおりにはならず、特に日本一のチームをシーズン前に予測するのは至難のわざとなっている。


これは評論家の能力の問題というよりも、野球の本質に関わる問題と考えられる。 
4割バッターといえども6割は凡退するわけであるし、どの局面でヒットを打つかは誰にも分からない。10安打打ったチームが1安打のチームに負けることもざらにある。主力選手の相次ぐ故障等の”不測”の事態もしょっちゅう発生する。 
もちろんその上で、やはり戦力が整ったチームはシーズンを通してみればそれなりに勝つわけであるが、時に歯車が狂いぼろぼろになることもある。 逆に評論家の事前予想がほぼ全員最下位なんてチームはそのまま下位に沈むことが多い。 野村氏の言うとおり「負けに不思議の負けなし」である。

2004年から始まったプレーオフ(クライマックスシリーズ)制度は日本一の予測を更に困難にしている。シーズンを通しての勝率はそれでも優秀な評論家が戦力を詳細に分析すればある程度なら予測出来るが、短期決戦となると極度に結果の不確実性が高まるからである。


又、多くの評論家は「プロ野球のあるべき姿」について一家言持っている。 こういった理想、理念は一部の評論家やファンが唱えているだけでは単なる一言説に過ぎないが、多くのファンに共感されれば次第に力を持ち始める。 そして最終的にその意見を採用することがプロ野球全体の振興につながるとコミッショナーが判断すれば、その「あるべき姿」を実現する為にルールや制度の変更が行われることとなる。(例: 古くは乱数表使用の禁止から、ドラフト制度の変更、セパ交流戦、プレーオフ制度の導入、2段モーションの禁止等) (注2)


総括すれば優秀な野球評論家は個人、監督、球団レベルまでであれば適切な助言も可能であり、時にはその戦術を大きく変える実践的な理論を提示することができるし、監督や球団GMとして直接手腕を振るうことも可能である。 又、過去の総括を理論的に行うことが出来るし、適切な戦力分析を行い、その時点では妥当と考えられる予測を行うことも出来る。 但し、予測は当たらないことが多いし、チームを確実に勝利に導くような戦略を立てることはもちろん不可能である。 またプロ野球全体の振興についてのアイデアも出せるかもしれないが、それが本当に振興につながるかどうかは不明である(プレーオフ制度って成功だったんだろうか?)。 一方で評論家は「野球のあるべき姿」を唱えることで、ファンの野球に対する見方を変え、時にはルール変更等を通じて野球自体を変えることもある。 但しこの場合に直接的に影響を持つのはあくまでもファンの声(とコミッショナーが思っているもの)であり、その「あるべき姿」の正しさではない。(時にはコミッショナーが暴走して自分が正しいと思う事や、一部の球団にのみ利益のあるようなことを独善的にやってしまうこともあるが、)


以上、こうしてみれば経済学者の立ち位置はプロ野球における野球評論家と非常に良く似ていると思うがいかがだろうか? 
(在野の評論家が無数に居るところも似ている)


注1)このあたりの人は経済学者というより経営学者(例えばドラッカーとか)に近いかもしれない。

注2)厳密にはファンが満足する「あるべき姿」と、野球界全体の振興につながる「あるべき姿」は違うかもしれない。その両者は当然重なる部分が多いが、ファンの満足度が下がっても全体としてはプロ野球界の振興に役立つ改革もありうる。只、その実施には当然抵抗が強いだろう。