「人口とGDP」についての一考察

以前にもリンクさせていただいたがhimaginaryさんの日記の「人口とGDP」という記事は私も非常に興味深く読み、又、自分でも手に入るデータで色々と試してみた。


元記事では総人口の成長率と名目GDPの成長率が連動していることに注目(図1)した上で、総人口と名目GDPの相関から、総人口ベースでの名目GDP予測値と実際の名目GDPを図示(図2)し、1997年以降に大きな差異が生じていることについて論考されている。
1997年といえば金融危機が起こった年であり、つまりその後の金融政策の失敗によるデフレ無かりせば名目GDPの停滞は無かったというリフレ派の主張を裏付けるようなグラフに見える。


(図1)

(図2)

(共にhimaginaryの日記様より拝借)


himaginaryさんはこのグラフの解釈についてリフレ派、構造改革派双方の観点からの考察をつけられておりそれ自体非常に興味深いが、グラフ自体の方にも違う観点からの作り方があるのではないかと考え、自分でもグラフを作成してみた。(但し元記事にリンクのあったデータはなぜか開けなかったので、他で見つけた1980年以降のデータセットを使用。)


元記事では総人口と名目GDPの関係を示すときには、それぞれの「成長率」同士が連動している点について指摘されているが、予測には総人口と名目GDPの相関が使用されている。これはそのほうが長期的なマッチングが良いからと思われるが、名目GDP及び総人口の成長率が減退し始めた1970年以降については最初の指摘通り名目GDPの「成長率」と総人口の「成長率」の相関から予測名目GDPを計算することもできそうである。この方法での名目GDP予測値と名目GDPを比較したのが下図である。


この図では予測と実測の差異が生じているのは1997年以降ではなく、1990年前後となっている。そして約10年掛けて再びその差異が縮小し、予測値がピークアウトする直前の2001年ごろに再び一致している。 

つまり同じテーマで作成したこれら二つの図は名目GDPの停滞に繋がる問題がいつ発生したかについて全く違う二つの時期(1997年以降と1990年前後)を示していることになる。


この人口成長率ベースのグラフに敢えて考察をつけるとすれば
1) 経済が需要制約型となった1970年以降は人口成長率ベースの予測が有効
2) この予測に従えば問題が発生したのは1990年前後であり、その後の停滞は1990年前後に生じた問題の調整期間
という感じだろうか。


1)については当ブログで以前に書いたエントリーの内容に沿った考察となっているが、客観的に見てこの図を根拠に上記の考察結果を主張するのはやはり我田引水であろう。


もう一度よく最初のグラフ(図1)を見てみれば1970年以降の名目GDP成長率の長期的な低下トレンドに対して、1988年から1991年までの4年間はトレンドから外れた高い成長率を示している。 よって1970年以降の長期的な低下トレンドと連動するもの(=1970年以降ある程度一定の率で単調減少してきたもの)であれば、何と相関させても人口成長率ベースの予測値と同様の傾向を示すはずである。 


つまりその要因は何であれ、この1970年代以降の長期的な低下トレンドが存在するのであれば、デフレに陥ったのは1997年以降だとしてもその原因は先立って発生していたという解釈が十分になりたつこととなる。 (総人口ベースの予測(図2)でも1990年前後における予測値の上方への乖離は確認できる。)


もちろんデフレの主要因はやはり金融不安以降の日銀の金融政策であり、名目GDPの低成長率もその失策によって本来の値よりさらに押し下げられている、という見方も可能であるが、筆者としては寧ろ1970年代から始まった名目GDP成長率の長期低下トレンドを起こしている構造的な要因の理解と、1990年代前半に一時的に生じた高成長率が長期的な成長率のトレンドを上方へとスライドさせずに、むしろその後の低下を加速させたように見える点についての理解を深めることが、現在の日本がどのような対策を採るべきかを考える上で重要ではないかと考えている。