量的緩和が誘発するのは「インフレ期待」か「資産バブル期待」か?

先日書いた「リフレ政策の実施には国民の(もしくは多くの経済学者の)間でのコンセンサスが必要である」というのは、民主主義の立場からだけでなく、実効性の面からも恐らく重要である。


アゴラで慶応大学経済学部教授の池尾和人氏がクルーグマンのブログ記事を引きつつ、量的緩和が効果に乏しいことの一つの説明として以下の命題を示している。

<命題>
財政スタンス(財政赤字の累積額)が一定である限り、中央銀行がどれだけバランスシートを拡大させても、民間金融機関の貸出が増加しないならば、マネー・ストック(貨幣供給量)は増大しない。
http://agora-web.jp/archives/1127195.html

要は量的緩和をやってもそもそも金を借りる人が居ないんだからインフレ率は上昇しないだろ、という反リフレ派の代表的なロジックである。この場合量的緩和はインフレ率を上昇させることが出来ないので実質金利も景気の先行き感も何も変えることが出来ない。


但し、この命題は”期待”インフレ率の上昇が実際にインフレを起こすという経済の自己実現的な部分については触れていない。

つまり量的緩和が将来的にインフレ率を上昇させると多くの人が考えれば、それが例え理論的に間違った期待であっても、期待インフレ率が上がり、実質金利が下がるので民間金融機関の貸出が増え、マネー・ストックが増えて最終的には実際にインフレが起こるわけである。


上記の通り、量的緩和自体は偽薬のようなものであり、実際にインフレ期待が醸成されるかどうかは不明である。但し、それだけであれば失敗しても大して害は無く、リフレ派が主張するように「悪くても駄目もと」で済む。


しかし、実際には看過し得ない以下のようなリスクが量的緩和には存在すると思われる。
リスク(1) 量的緩和は「インフレ期待」より「資産バブル期待」を産む。
リスク(2) 累積した量的緩和は金融政策による景気の制御能力を弱める。
リスク(3) 量的緩和は投機家につけこまれる隙を作る



(1) 量的緩和は「インフレ期待」より「資産バブル期待」を産む。
既に何度か書いたとおり日本ではバブル期でもインフレ率は3%前後にとどまっていたこともあり、消費者物価よりも資産価格の方が上がりやすい実態(或いは先入観)があるように思う。
又、そもそも期待インフレ率の上昇が実質金利を下げて投資が増え、需給が改善してインフレ率が上がるというルートは即効性に欠けるが、資産バブル期待が土地や資源の先物を押し上げるルートは非常に即効性が強い。

よって「デフレは金融政策(流動性不足)が原因であり、量的緩和はそれを単に「正常」な状態に戻すものであり、バブルを起こす類のものではない」という強いコンセンサスでもない限り、量的緩和はマイルドなインフレを起こすより先に資産バブルを発生させる可能性が高いと考えられる。


(2) 累積した量的緩和は金融政策による景気の制御能力を弱める。
(2)については、インフレ期待を起こす偽薬として量的緩和を使うことの副作用である。
仮に量的緩和をインフレターゲットが達成されるまでやり続けた場合、日銀は結果として膨大な国債(やその他の債権)を抱えることとなる。
将来何らかの要因によって景気が過熱しすぎた場合、日銀はそれらの債権を売却する必要が出てくるが、インフレ率が上昇しているわけなので基本的には損失が発生する。そしてそれは国民の負担となる。仮に日銀のバランスシートが極度に肥大化した状態で通貨の流通速度が上がり始めれば、それに対抗するためには相当額の国債を売却する必要があり、その損失の規模はそれまでに累積した量的緩和の額に従って増加するはずである。

又、金融引き締めにより景気が減速した場合には国民の非難が集まることも予想され、結果として判断が遅れて不況の谷を深くしてしまうことも懸念される。(これは実際に世界中で何度も繰り返されてきた過程でもある。)

たしかに量的緩和は偽薬のなかでは感覚的な部分に訴えるものがあり、その効果は相対的には強いと思われるが結局は偽薬効果であり、そこまで副作用が強いものを偽薬として採用するのはやはり問題があるであろう。


(3) 量的緩和は投機家につけこまれる隙を作る
穿った見方をすれば、こうしたリフレ政策は「投機家」に付け込む隙を見せることになり、大多数の国民の財産を毀損して彼らを儲けさせるだけに終わる可能性もある。

景気の先行きに大きな影響力を持つ「投機家」にとっては資産バブルの方がマイルドなインフレより短期的に儲けることが可能であり、又、彼らは基本的には短期重視であるので、資産バブル「期待」を持ちやすいし、その「期待」を一般に広めるインセンティブが強い。更に、彼らにとってリフレ・量的緩和の一環として不良債権を日銀に引き受けさせ、短期的に株価や債券価格を維持・上昇させることも非常にメリットが大きい。
よって不良債権を日銀に引き受けさせ、資産バブルを起こして、最終的に金融引き締め局面で日銀(国民)に損失を被らせるというのは、日本全体としては良くてゼロサムであっても「投機家」にとっては格好の漁場となりうる。


つまり量的緩和が期待された目的を果たさないように誘導したい強力な勢力が存在するということであり、偽薬効果を期待して副作用すら懸念される薬を飲ましたのに、その薬は猛毒だと本人に告げ口する気満々の人間が隣で待ち受けているようなものである。


この状態では(副作用に目を瞑ったとしても)治療が成功するためには治験者が告げ口に耳を貸さない程その薬の効果に確信を持っている必要があり、つまり「リフレ政策の実施に国民の(もしくは多くの経済学者の)間でのコンセンサスが」存在することが実効性の面から見ても最低限の条件であると考えられる。