私がリフレ政策に懐疑的な訳 (追記有)

WATERMANさんからコメントでリフレに反対する人はリフレをどう考えているのか?というご質問を頂いたので、何故私がリフレ政策に懐疑的なのかを自分で整理してみた。

私はどうにも考えを整理できないのですが、リフレに反対する人はリフレを何か特別なものだと思っているのではないですか?
リフレは単に、デフレに陥った、ないしはデフレに陥る危険性のある経済を正常な、つまり一定のインフレ率の経済に復帰させるということで、いかなる不況においても当然行うべきことです。


私はどちらかというと反リフレ派の方のブログより、これまでにリンクさせていただいたWatermanさんやhimaginaryさんをはじめとするリフレ派の方のブログをより楽しんで読ませていただいており、むしろ反リフレ派の某有名教授の意見には首をかしげることも多いので一般的なリフレ反対派とは考えが違うかもしれませんが、ご参考までに私の考えをまとめてみました。


まず私の理解は以下の前提からスタートしています。 

  1. 恐慌的なデフレスパイラルに対して短期的な金融政策で対処することには基本的にリフレ反対派も賛成派も異論は無い。
  2. 但し現状日本は恐慌に繋がるようなデフレスパイラルの状態ではなく、マイルドなデフレが長期間続いている状態。
  3. そのマイルドなデフレから「非伝統的な金融政策」も駆使しつつ一定のインフレ率に復帰させることがリフレ政策の目的。
  4. この場合一定のインフレ率とは2−4%。 但しこの目標とすべきインフレ率については諸説あり。


まず私は日銀は弊害を気にしなければインフレ率を短期的には上下できると考えていますが、それを金融政策だけで長期的に維持できるかは疑問に思っています。 もし短期的にはインフレ率を上げることができても長期的にもとに戻ってしまうのなら短期的な金融緩和はその弊害と共に将来のショック(ディスインフレ)を増大させることになります。(つまり将来への負担の先送りになってしまいます。)


もちろん日本の現状がデフレと言う落とし穴にはまってしまった為に起こっているものであり、その落とし穴から抜け出しさえすれば後は自力で一定のインフレ率で走り続けられるのであれば上記の懸念は杞憂となります。


しかし私の理解では日本のデフレは単に落とし穴にはまっただけと言い切れるものでは無く、むしろある種の世界経済における均衡の結果ではないかと思っています。


日本は資源国でもなく、EUのような広域的な経済圏にも属しておらず、世界経済で有利な英語圏でもありません。 それでも日本は戦後、敗戦国から先進国へと躍進し、その間の経済成長率は先行する先進国を凌駕するものでした。但し一旦追いついてしまえばその後は他の先進国を上回る経済成長を維持するのは困難になります。むしろ現状では少子高齢化や人口減少等により日本は他の先進国より若干不利な状況にあると思います。

もし潜在的な経済成長率を同じと考えても、その構造的な経常黒字体質から長期的には日本のインフレ率は自然と経常赤字体質の国のインフレ率より低めになるはずです(注1)。この場合経常赤字体質の国の代表は米国ですから、米国のインフレ率が低下すれば日本のインフレ率も低下せざる得ず、結果としてそれが日本でデフレが継続している一要因になっているのではないかと考えています。又この時もし潜在的な成長率が他の先進国より低ければ、インフレ率はより低いところで均衡する事になります。

インフレ率の組み合わせとして例えば(日本0%-米国3%)ではなくて(日本2%-米国5%)のケースも考えられるかもしれませんが、もし日本がその均衡に誘導できたとしても、その場合米国よりも高インフレになる傾向のある発展途上国のインフレ率が更に上昇し、それらの国でバブルを誘発して最終的には世界経済が混乱することにより世界経済全体のパイの長期的な成長率が鈍化し、日本の経済にもマイナスになる可能性があります(注2)。 又、現実に日本がデフレを食い止めるために行った金融緩和が米国の資産バブルを後押し、インフレ率を下支えしていたという見方もあります。


よってまとめると私は以下のような理解からリフレ政策、特に強いリフレ政策には懐疑的な立場ということになります。

  1. 現在の日本のデフレ・低インフレ率は世界経済全体での均衡の結果である。
  2. よって金融政策では短期的にインフレ率を上げることはできても長期的に維持することは難しい。
  3. 長期的に維持できないのであれば短期的な対策は将来への負担の先送りにしかならない。
  4. 将来への負担の先送りは短期的には資産バブルの形成、長期的にはディスインフレショックとなって現れる可能性が高い。

「潜在的に日本がデフレ・低インフレになる傾向が"仮に"あったとしても現在のインフレ率はその均衡的なインフレ率を大きく下回っており、やはり金融政策が必要である」という意見は十分にありうると思っていますが、私個人としてはもしその現状認識が間違っていた場合の弊害を考えると駄目もとでやってみようという気にはなりません。 

これについては私個人のリスク選好及び現況によるところも大きく、各人のリスク選好、或いは現時点で受けている不利益の多寡によって結論が変わっても全くおかしくないと考えています。 但しこのようなリスクを伴う政策についてはそれを判断すべきは政府・国会であり、最終的には国民であると考えています。 よって日銀が独自判断で国民の間での合意形成に先行してそのようなリスクを採ること(及び「採るべき」との意見)には反対ですが、リフレ派の方が政策提言として国会を通じてその考えを広め、国民の間に合意が形成されればリフレ政策を行うことに絶対反対というわけでもないですし、実際のところ私の懸念に反して良い結果がでる可能性がそれほど低いとも思っていません。

過去を振り返れば、恐慌的なデフレスパイラルに繋がる金融不安等に対して積極的な量的緩和で対応する事についても最初から「当然のこと」として行われたわけではなく、世界で初めて実施された当時では賛成・反対各論あったと思いますが、現在これに反対する人は少ないでしょう。リフレ政策も同様に新しいスタンダードを提示している可能性もありますが、社会主義経済のように間違ったアイデアに基づいている可能性もあるわけで、やはり賛成・反対各論があってもそれほどおかしなことでもないだろうというのが私の考えです。

究極的には「リフレは絶対に正しいのだから国民の合意形成や反対論は必要ない、むしろ時間がかかってより状況が悪化してしまう」との意見もあるかも知れません。そして結果としてその意見は正しいかも知れません。確かに過去の量的緩和も国民の合意というより一部の政治家(高橋蔵相や小泉総理?)の信念・独断により行われたもので、逆にバブル崩壊の基となった総量規制は国民の多くの支持を得ていました。
かといって独断で行われたことが全て良い結果を産みだしたと言う訳でもないわけで、例え結果から見て最善の選択ではなくても地道に反対派の疑念をつぶし、メリット・デメリット双方を十分に説明したうえで納得させて、国民の合意を作っていくことこそが取るべき道であり、遠回りでもそれは民主主義のコストと考えるべきだと思います。(追記有り)


長くなったのでリフレ政策の弊害については次のエントリーにします。

(追記)
と思ったが、リフレ政策の弊害の一つが資産バブルであり、その資産バブルが好ましくないこと、又、なかなか制御が難しいことについては意見の相違はあまり無いようなので省略。

一つだけ強調しておきたいのはインフレ率は資産バブルが進行しているかどうかの指標としては弱く、バブル進行時でもせいぜい日本のインフレ率は3%程度しかなかった。そのことは白川総裁も指摘している。

日銀総裁:インフレ率注視の政策は資産ブームを見逃す可能性も


8月27日(ブルームバーグ):日本銀行の白川方明総裁は27日、米連邦準備制度理事会(FRB)は与信の伸びに応じて、金融引き締め策によって米株式ブームを沈静化させることを検討すべきだとする、米ノースウエスタン大学のローレンス・クリスティアーノ教授(経済学)の報告について発言した。

白川総裁は、カンザスシティー連銀が開いた米ワイオミング州ジャクソンホールでの年次シンポジウムで、クリスティアーノ教授のモデルは極めて単純だが、日本人の心を非常につかんだようだとの認識を示した。

1980年代後半、日本は株式ブームと不動産ブームも経験していたとし、与信も高ペースで拡大し、投資ブームも起きていたと説明。その上で、こうしたデータは1つの重要な統計を除いてすべて、金融引き締めの必要性を示していたとし、その統計がインフレ率だったと指摘した。

白川総裁は、この日本のケースはインフレ目標というものの妥当性に疑問を投げ掛けていると説明。インフレというレンズを通して、経済を見る傾向が広がっているが、そうしたやり方は若干バイアスがかかりかねないとの考えを示した。

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920015&sid=aUcB8IRGqU1o




(注1) この部分については「経常収支のインバランスは持続不可能なのか  - 円高への潜在的圧力は何か?」をご参照下さい。
(注2) これについては通貨戦争を題材に近日中に記事を投稿する予定。


(追記) リフレ政策実施に関する民主主義のコストについては、「takeuma1975の日記」(恐らくリフレ派の方?)で以下の通り指摘されているのを見つけた。 私は単純に国民の合意形成が重要と考えていたが、確かにtakekuma1975さんの指摘の通りこのようなテーマで国民の合意が形成されるかどうかは困難な面があり、専門家のコンセンサス確立というのははるかに現実的な手段かもしれない。

民主意思決定のコストについて
マクロ政策を国会議員の多数や一般の国民に理解してもらうことは非常に困難だと思います。ですので、専門家のコンセンサスを確立することにより、マクロ経済政策が理解できない政治家であっても、国家としての意思決定を正しく行い、官僚に政策を行うよう指示を出させることが大事なのです。
http://d.hatena.ne.jp/takeuma1975/20100528/1275049971