経常収支のインバランスは持続不可能なのか  - 円高への潜在的圧力は何か?

金融日記の藤沢数希氏がアゴラに「持続不可能なグローバル・インバランスが元に戻るということ」という記事を投稿されていた。 内容はタイトル通り、現在の円高は経常収支のインバランスが元に戻っているせいであるというもの。 

つまりアメリカが莫大な経常赤字を計上するということは、同じ金額をアメリカにせっせと投資していた国がたくさんあったということである。これは具体的には経常黒字国の中国や日本の莫大な外貨準備として積み上げられたりしていた。

しかしこの巨大なグローバル・インバランスがアメリカのサブプライム・ローン問題をきっかけに破裂すると、すべてが逆回転しはじめたのである。アメリカの持続不可能な経常赤字が急激に縮小したので、当然のように日本の経常黒字も急激に縮小した。

そして現在も世界はこのグローバル・インバランスの調整プロセスがつづいているのである。経常赤字国、つまり過剰債務国は、債務返済のために消費や投資を控えなければいけない。
このように安くなったドルやユーロは欧米諸国の輸出を増加させ(日本の輸出を減少させ)グローバル・インバランスを是正していく。最近の円高もこのような世界の大きな流れの中にあっては、多少の介入をしたところで簡単に動かせるようなものではないことがわかろう。
http://trackback.blogsys.jp/livedoor/kazu_fujisawa/51759139


藤沢氏も指摘されているとおり経常黒字は資本収支赤字(海外への純投資額)と直結している。この部分について藤沢氏は

これは具体的には経常黒字国の中国や日本の莫大な外貨準備として積み上げられたりしていた。

と外貨準備(つまり国債)を例に挙げて説明されているがその他にも金融資産や事業、実物資産への投資もこれに含まれる。「経常赤字国、つまり過剰債務国は、債務返済のために消費や投資を控えなければいけない」かどうかは、その債務の内容次第であり、金融や事業、実物投資であれば基本的に債務返済をする必要はないはずである。


よって確かに経常収支の現状はインバランスであるが、持続不可能かどうかは別の問題である。
もし経済成長が存在しないのであれば経常赤字が続くことは国内の資産がどんどん他国の物になることを意味し、確かに持続不可能である。しかし例えば米国の場合は海外から投資を集めて高率の経済成長を達成しており、この場合、経常赤字は自国内での経済成長の一部が海外からの投資によるものだったということを意味しているに過ぎない。
又、同様のことは発展途上国でも言える。発展途上国はもともと経済成長の余地が大きく、リスクを考えても日本国内に投資するよりリターンの高いプロジェクトが数多く存在する。よってそれらの国に対して日本のような成長力の低い国から資本の移動が起こるのはある意味自然と言える。

つまり世界の経済成長が実態を伴ったものである限りはこのインバランスは持続可能な筈である。そしてリーマンショックが起こったとはいえ世界全体としては経済成長を続けておりグローバル・インバランスは調整こそ必要かもしれないものの今後も完全に「元に戻る」ようなことは起こらないのではないだろうか。


ここで少し違う視点から考えてみる。

日本は過去数十年の間、長期トレンドとしては基本的に円高基調が継続してきたが、その間もほぼ一貫して経常黒字国であり続けてきた。この事実については日本の輸出産業が円高による競争力の低下を生産性の向上や高付加価値品の開発によって克服してきたという風に説明されることが多い。つまりここへ来て経常黒字による円高圧力に遂に生産性向上が追いつかなくなってきたという筋書きになる。

これはよく聞く説ではあるが、本当なのだろうか? 筆者はむしろ小宮隆太郎氏らが唱えていた趨勢的経常黒字論(ISバランス・アプローチ)の方が実績をよりよく説明しているのではないかと考えている。(注1)

趨勢的経常黒字論とは、大雑把に言えば日本が経常黒字なのはその貯蓄率の高さと海外投資への積極性(+海外からの国内への投資が少ない事)に拠る物であって、為替レートの変化はそれらの要素に影響しないので長期的には経常収支を調整しない、つまりその経常黒字は趨勢的(構造的)なものであるという考え方である。 逆に言えば為替は現状の経常黒字が維持されることも含めた経済のファンダメンタルズに基づいて均衡しており、経常収支がゼロになるように均衡していくわけではないことになる。

この理論ではその他の条件が同じであれば一定額の経常黒字は為替に影響を与えることなく持続可能である。つまり変動要因が無ければ為替と輸出企業の国際競争力と経常黒字がバランスしている状態がそのまま維持されることになる。
この場合、技術開発等によって国際競争力が向上すれば輸出が増え、経常黒字に対する増加圧力になり、為替が上がる。為替が上がれば購買力が増して輸入が増加し、生活が豊かになる一方で経常黒字の減少圧力となる。又、為替が上がることによって輸出企業の国際競争力の向上が一定割合相殺される。結果として国際競争力の向上に併せて国が豊かになる一方で、為替は少し上がるということになる。(そして経常黒字はある一定のレベルで再び維持される)
つまり日本が豊かになったのは国際競争力の向上とそれに連動した円高によるものであって、経常黒字に起因する円高圧力を競争力の向上によって奇跡的に乗り越えて続けてきたわけでは無いことになる。


又、名目での為替を考える際には各国のインフレ率も考慮する必要がある(購買力平価説)。一方がインフレ率0%、一方がインフレ率10%で、その他の条件が同じであればインフレ率の高い通貨は毎年10%減価していく。但しこの為替の変動が国際競争力に影響するかどうかは実質で考える必要がある。もしインフレ率に人件費や金利等のコスト要因が完全に連動していれば輸出競争力には直接的には影響は与えないはずである。つまりデフレが原因で円高になれば輸出企業が困るというのは相手国がインフレ率以下にコスト(人件費)の伸び率を抑えており相対的に人件費が割高になるからであって名目での円高自体が原因というわけではない(おそらく、、)。


もう一つ潜在的な円高圧力を付け加えるとすれば、所得収支の増加がある。長年にわたる経常黒字(海外への純投資)によって日本は世界最大の対外純資産保有国になっており、既にそこからの上がりが経常黒字の半分以上を占めるまでになっている。
このことは一見結構なことのようであるが、貿易黒字が同じ(輸出企業の国際競争力が同じ)であれば経常黒字への増加圧力となり、円高圧力となる。但し、この場合の円高は国際競争力の向上に起因するものでない為、世界経済全体の中での日本企業の国際競争力は低下することとなる。又、所得収支は国内の供給能力(労働力)を必要としない不労所得であり、輸出企業の競争力低下による輸出減と共に国内の需給バランス及び雇用に対しては悪影響を与えることとなる。


さて、長々と書いてしまったが、結局のところ上記で述べた円高圧力は構造的な圧力ではありうるものの、これだけで現実に起こっている急激な円高を説明しきることは難しい。 
この急激な円高については一般に言われている通り米国の量的緩和がその一因であることは間違いないと思われる。そしてより危機感を持って考えれば、これは単なる円高か円安かという問題ではなく、世界経済全体のバランスを根元から崩しかねない通貨戦争への入り口に立っていることを意味している。次回は通貨戦争についてパレート効率的な状態からナッシュ均衡的な状態への移行という視点から書いてみたい。


(注1) 小宮氏の趨勢的経常黒字論は80-90年に掛けて双子の赤字に苦しんだ米国が円高圧力を掛けてくるのに対して唱えたもの。(『貿易黒字・赤字の経済学:日米摩擦の愚かさ』 小宮隆太郎)

最近では中国の経常黒字についても同様の議論が行われており、実際に中国も同様の発言によって元への切り上げ圧力をけん制している。
参省:クルーグマンの中国通貨政策批判への批判 (http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20100122/krugman_chinese_new_year