「デフレは必ず負ける勝負」という事実が意味するもの

先日のエントリに関してWATERMANさんから

まず、デフレは「必ず負ける勝負」という事実を理解しておられますでしょうか。

というコメントを頂き、自分がその事実をどう理解しているかについて考える中で、今更ながらリフレ派の多くは、(そして恐らくは構造改革派の多くも)

「勝てる戦いをまずい戦略(金融政策、規制etc.)によってみすみす負け戦にしている」
という風に日本の現況を理解していることに気づいた。


一方で私は日本は経済成長という観点では「勝てる戦い」ではなく、「撤退戦」を必死に戦っている最中であると考えており、結局のところこれがリフレ派(や構造改革派)の考え方に違和感を覚える一因のようである。(注1)


もちろん撤退戦だからといって受身になってずるずると後退するだけでは被害は拡大する一方であり、時には攻勢に出て局地的な勝利を収めることも撤退を成功させるには必要である。
しかしながら撤退戦では局地的な勝利は撤退戦の被害を最小限にくいとめる為にのみ必要であって、局地的な勝利を積み重ねても最終的な勝利には繋がらない。 局地的な勝利を収めることに戦略上の意味は無いのである。


古来より撤退戦ほど難しいものはないとされており、見事な撤退戦を演じた将には卓越したリーダーシップを備えた名将が多い。今の日本で殿(しんがり)を務めているのは菅首相率いる民主党内閣と言うことになるだろうが、見事殿を務めきることが出来るかははなはだ疑問である。但しここで戦況を見誤れば日本は整然とした撤退戦ではなく総崩れの逃走劇を演じることになりかねない。 望み薄ではあるが何とかして無事殿を務めあげて欲しいものである。


(注1)もちろん経済はゼロサムではないから実際の戦いと違って全員が勝つという可能性が無いわけではないが、現実には経済成長というパイの拡大は有限であり、ゼロサムで無いという事は必ずしも皆が勝てることは意味しない。

日本はバブル時代に比べれば相対的に貧しくなったといってもまだまだ裕福であり、しかもGDP等の経済指標では計りきれない価値を維持している。 そういったGDPに現れない価値を含めた「日本の価値」を守ることこそが重要であり、経済成長の「量」を争う勝負から「日本の価値」を守りきってうまく撤退できれば、人口減少下でも国民の生活の質の向上を目指すことはまだ十分に可能だと思う。