わるい低労働生産性 と わるい高労働生産性

以前のエントリーで「よい低労働生産性」について書いたが当然「わるい低労働生産性」も存在する。 というより基本的に低労働生産性は悪いことが多いだろう。


わるい低労働生産性のキーワードは「誰の得にもならない」ではないかと思う。


典型的なのは雇用確保の為だけの公共工事や労働生産性の制限で、「最悪穴を掘って埋めればよい」とか「機械化を制限して雇用を増やせ」みたいなやつである。
 
穴を掘って埋めて誰が得するのか?誰も通らないような道をつくるのも本質的には同じである。 又、機械を使えば1人で1時間に2個作れるものを、機械無しで2人で1時間に2個作って雇用を確保したとして誰が得をするというのだろう? 

そのことによって雇用を得た人間は短期的に見れば得をしているかもしれないが、他の誰も得しないような仕事をいつまでも続けてられないだろう。 又、どうしても2人雇わないといけないとしても機械を使って労働時間を短くした方が労働者も楽ができ、企業も儲かり、消費者も安く物を購入できる。


又、人口減少等による需要減で生まれた社内失業(余剰労働力)もわるい低労働生産性の一つだろう。

この社内失業がたな卸しされるまでの間は需給ギャップが解消されないし、会社も新卒の人間を思うように取れない。人口減少により構造的に需要が減少し始めた産業では当面は需要の抜本的な回復は難しく将来的にもこれらの余剰労働力は十分に活かされない事になる。

ただ理想でいえば需要が減少した産業から供給力が不足している産業や新たに需要が創出された産業に労働力がスムーズに移行するのが望ましいが、日本では供給力が不足している産業は介護等の低賃金産業くらいしかなく、他に労働力を大規模に引き受けられる新たな産業も見当たらない事から、これら「わるい低労働生産性」も必要悪と言えなくも無いかもしれない。 解雇のハードルを下げるだけなら大量の失業者があふれ出してくるだろう。


そこでひとつのアイデアとしてこの「わるい低労働生産性」は同じく「わるい高労働生産性」と相殺させて解消できるのではないかと考えている。 


ここで言う私の考える「わるい高労働生産性」とは「規制に守られた産業の高労働生産性」と「残業や有給未消化を前提とした企業(特に大企業)の人員抑制による高労働生産性」である


規制に守られた高労働生産性は結局のところ独占企業の高収益性の代償として本来創出できる需要機会をつぶしている。 例えば携帯電話やインターネットプロバイダーがもしNTT1社によって規制に守られた形で展開されていたとしたなら今ほど広がっただろうか? おそらくNTTは高値を維持して莫大な利益をあげることが出来ただろうが、関連産業も含め総売り上げ(総需要)も雇用も今の数割程度しか創出されなかっただろうし、サービスの質も向上しなかっただろう。 こういった産業で競争を通じて「よい低労働生産性」を実現すれば利用者の生活の質は上がるし、総需要も雇用も増えるはずである。(総利益は増えないかもしれないが、)


又、デフレ不況下にあっても長く続いた円安傾向に支えられ輸出型の企業はかなりの収益を上げてきたが、一方でその間の労働分配率は右肩下がりであり、大企業では50%を切っているようだ。 まず余裕のある大企業の社員が残業をなくし有給を完全消化し、その結果として不足する労働力を新卒・中途採用でカバーすれば労働分配率は若干上がるかもしれないが、社員の生活の質は上がるし、雇用も増える。そんなことをすれば会社が潰れるという人も居るかもしれないがもともと欧米の会社ではノー残業・有給完全消化は当たり前の話であり同じ競争ラインに立つだけの話である。 (もっとも日本の企業は法人税等で不利な面もあると思われるのでそこは補正しても良いと思う。)


ちなみにもう一つ付け加えるなら地方公務員の待遇を切り下げてその財源で人員を増やすというのも考えてもいいと思う。日本は他の先進国と比べても公務員の数が少ない(OECD26カ国で最小)一方で給与水準は高いし、人気も高い。 地方の公務員の待遇は民間の中規模企業より下くらいで、求人が集まらないわけではないが地元の国立大学を出た人間の第一志望にもならないくらいでいいのでは無いかと思う。 最近の高齢者不在問題を見ても人手が足りていない部分は多くあるようだし、もっと安く沢山人を雇ったほうが利用者にとっては利便性が上がるだろう。



上記のような対策がうまくとられれば無理やりお金をばら撒いてインフレを起こしたりしなくても、とりあえず一息ついて人口減少時代の日本のとるべき戦略を考えられるのではないかと思うのだがどうだろうか?