よい低労働生産性

日本に住んでいるとなかなか気づかないが日本の生活の便利さは異常であり他国の追随を許さないレベルではないだろうか。

私の海外在住の経験は英米の2カ国しかないが、比較的まともなこの2カ国でも、郵便をだしても荷物はまともに届かず、職人は約束した時間に来ず、電車は定時に走らず、店は軒並み17時には閉まり、しかも場所によっては日曜日は通りごと店が全部閉まってしまう。 なんとか時間を作って平日昼間に電気屋に冷蔵庫を見に行ってみれば数十年デザインが(恐らく機能も)変わっていないような冷蔵庫が数種類だけ並んでいるような状態でサイズ以外の選択の余地は殆ど無かったりする。 英米以外の殆の国では状況は恐らくもっと悪いだろう。

一方、日本では荷物は1時間単位で到着時間を指定でき、電車は時間ピッタリに来て大量の人員を効率的に輸送し、店はデパートでも夜20時まで営業してるし24時間営業のコンビニもいくらでもある。 洗濯機も日本製、海外製ありとあらゆる製品が選べるし、中にはネットに繋がったりするものもあるらしい。 そしてもちろん購入すれば指定した時刻に持ってきて設置してくれる。


なのに日本の労働生産性は先進国最低レベルらしい。 では何がわるいのか? 



とりあえず上に書いた日本の生活の便利さを支えている部分が悪いのではないだろうか。


宅急便もそのうち届けさえすればいいのならコストをもっと削れるだろうし、職人だってうけた仕事を時間を気にせず順繰りにやれればいいのなら人手も減らせるだろう。散髪屋なんて長時間営業したからと言って顧客の髪が伸びる速度が早くなるわけではない。 もちろん便利さによって多少は需要を喚起できる部分もあるだろうがそれが労働生産性を上げるほどかというとそれ程とは思えない。日本でも規制産業を中心にサービスが悪くてもそれなりに儲けているところはいくらでもある。宅急便がなかった頃の郵便局や独占企業だった頃のNTTなんてその典型だろう。

つまり少なくとも一部の業態では規制緩和と競争は労働生産性を下げてきたわけである。

では規制緩和と競争を排除して労働生産性を上げればいいかというと労働生産性の向上とその結果としての経済成長が至上の価値であればそうかも知れない。だがせっかく享受できている世界一の便利さを手放してまで経済成長しなければいけないのだろうか?

もちろん経済成長の恩恵を享受できる一部の資産家はコスト・サービス共にさらに上がった金持ち向けのサービスを使えば今以上の便利さを得られるかもしれないが、多くの一般人にとっては生活の便利さは下がることになる可能性が高いだろう。

労働生産性が低い=餓死 という時代ではないのだから経済成長が停滞してもこれらの「よい低労働生産性」が働く人、サービスを受ける人双方にとって維持可能な形で残る日本のほうが好ましいと思う人は結構多いのではないだろうか?