柳井氏を批判しても仕方がない理由をもう少し書いておく (ブラック企業/ユニクロ問題雑感)

前回のエントリー(「批判されるべきは柳井氏なのか?」)に頂いたコメントを拝見していると、筆者が柳井氏を擁護しているととられた方が結構いらっしゃったようだが、それは筆者の本意では無いので、少し補足しておきたい。 


ある繁華街の近くの住宅街で住民が違法駐車に困っているとする。 歩道を塞いでおり子供は道路を歩かなければならず、危険で、実際に事故も何度も起きている。 それでも違法駐車は後を絶たない。なぜなら、違法駐車の罰金が100円であり、不便で高額な駐車場に車を停めにいくよりある意味よっぽど合理的だからである。

この時住民は何をすべきか? 

もちろん違法駐車をしようとする人間を捕まえて文句をいう事も可能だろうし、目の前の相手に文句をいう事によって少しは気も晴れるだろう。 中にはそこが駐車禁止エリアである事を知らなかった人もいて、素直に車を移動させてくれるかもしれない。 罰金が安いからと言って誰もが違法駐車を是とするわけでは無い。 だが、確信犯的に違法駐車をしようとしている人間には少し文句を言ったくらいでは効果はない。「捕まったら100円払えばいいんでしょ」と言い返されるのが落ちである。

それでもしつこく抗議すれば嫌になって車を移動させる人間もいるかもしれないが、結局そうして空いたスペースは少し目を離せば他の車が停まっていることになる。、 罰金100円という法律(ルール)を放置したまま確信的に違法駐車しようとしている人に文句を言ってもなんの解決策にもならない訳である。

一方で罰金をガツンと10000円くらいに引き上げれば効果は絶大である。 あっという間に違法駐車は一掃されるだろう。そんなことをすれば繁華街の客が減って困る? 本当にそうなら今度は繁華街側が政府と知恵を絞って近くに安い公共駐車場を手配してもらうなりすればよい。 そういったことができないというなら、そもそも繁華街は本来のポテンシャル以上の集客を行っていたわけであり、少しくらい客足が落ちても仕方ないということになる。 (政府の判断が繁華街寄りで、逆に住宅街を駐車可能地域にしてしまう、ということになる可能性もあるわけであるが、その場合は何故そのような判断を下したかの説明責任は政府にあり、少なくとも住民は納得するまで説明を求めることができる。)


ここでユニクロの話に戻ると、まずそもそもどのレベルで違法なのか?という点からしてあやふやである。 もちろん細かく見れば労働基準法に違反している個別事例はあると思うが、「ブラック」だと批判を受けている柳井氏の経営戦略そのものが違法と言うわけではないだろう。  そこまで真っ黒ならそれは企業ではなく犯罪組織であり、氏は今ごろ容疑者になっているはずである。  おそらく現実に行われているのは社員を法令違反ギリギリまで追い込むことによって実際に裁判等で法令違反と判断されてしまう事例が一定数発生するリスクがあったとしても全体では十分に元は取れるという計算の下での「ブラック」化の推進であろう。


柳井氏が自らが進めようとしている戦略のこういったリスクに関する法的、或いはCSR的なデメリットを理解していないとは思えない。 世間の目から隠れた所でやっているわけでなく、今回のインタビューを見ても分かるとおり堂々と正当性を訴えながらやってるわけであり、そういったリスクを考慮しても自らが考える戦略が正しいと確信して進めているわけである。 


よってこの状況を改善するには柳井氏の「合理的」な戦略を倫理的な観点から批判してもダメで、法令自体を更に厳しく適用して「法令違反と判断される事例」数を無視できないほど増やすか、或いは「法令違反と判断される事例」の企業へのコスト(罰金等)を大きくあげるといったルール変更で対応しなければ効果が期待できないというのが、前回の結論であり、別に柳井氏の戦略論に賛意を示したり擁護したりしているという訳ではないのである。


[追記]
尚、この結論はだから柳井氏を批判すべきでは無いということを意味しているわけでは無い。 多くの人が各々の価値観に基づき柳井氏を批判することは全く理解できる。 ただ、価値観の違いに基づく批判は殆どの場合、違う価値観を確信的に持っている人間を動かす原動力にはならず、有効性という意味では疑問である。 不買運動などを引き起こして、ユニクロにとっての「ブラック」化のデメリットを上昇させれば一定の効果は期待できるかもしれないが、そういった個別対応ではそうして空いたスペースに次の「ブラック」が入り込んでくるのを避けられず、モグラ叩きになってしまう。 

ただ、もう少し違うレベルでこの問題を見ると、多くの人が各々の価値観に基づいて批判の声を上げることが全く無いなら、そもそも問題が表面化せず、ルールを変えろと言う国民の声も高まらず、企業がやり放題になる可能性が高いだろうから、そういった意味では「批判しても意味が無い」は間違いかもしれない。 筆者は声の大きさや「運動」的なもので社会を変えていこうという考えが好きではない為、こういった側面を低く評価する傾向にあると自覚しているが、「運動」的なものが必要なケースは確かにあるだろうし、この問題はそれにあたる可能性は確かにあるだろう。