金融政策とそのリスクに対する見方の違いについて

コメント欄でyasu様からリフレ政策を支持する視点から多くの興味深いコメントを頂き、あちこちのエントリーで散発的にコメントをやり取りさせていただいたが、その中で金融政策のあるべき姿やリスクについてやり取りした内容をまとめてみたのだが、コメント欄に書くには長すぎなのとせっかくなのでエントリーとしてあげてみる。 

できるだけコメントを長めに引用して、もとの文を残すようにはしたが、筆者の理解に沿ったまとめなので、内容がおかしくてもそれは筆者の責任であるし、恣意的な引用といわれる部分もあるはずである。よってもし興味がある方がいれば詳しくはオリジナルのコメントのやり取りを参照いただきたい。


まず金融政策の目的については

インフレ(あるいは最終的にはそれは経済成長)の安定化という本来の金融政策の目的の他に、バブル阻止・資産価格問題という別の目的を、金融政策という一つの政策で行おうとしていること自体が誤りであり、そのことに関しては間違っているというクリアカットな答えがある。


この間違いを正すことなく、バブルを理由に金融政策を(インフレだけを視野にした)最適な状態となるように行わないのはまたクリアカットな誤りである。

とコメントされており、「本来の金融政策の目的はインフレの安定化である」或いは「金融政策はインフレだけを視野にした最適な状態となるようにすべき。」という非常にクリアカットな主張が根底にあるようである。


しかしながらその一方ではインタゲを採用しながらその設定したインフレの目標レンジを1年半以上にわたって超え続けている英国の現状については

中央銀行の預かり知らぬ理由で上がった物価を中央銀行のせいにするのは誰のメリットにもならないし、もしBOEがVATをオフセットしようと果敢に引き締めていれば、失業率は高止まりどころでは済まない事態だったでしょう(当然、キング総裁はそんな愚かなことはせず、経済を安定化させるためのインタゲであって、インタゲを守るために金融政策とは無縁な非需要要因による価格変化を抑えようとし経済を不安定化させるというのは本末転倒だと示しましたが)。


実際、非需要要因である輸入原油高によるインフレに機械的に対応するのはインフレターゲティングではない、というのはインタゲ採用国の中央銀行総裁がよく語ることです。

と、金融政策とは無関係な非需要要因による価格変化を金融政策で抑えることは経済を不安定化させるリスクがあり、経済を安定化させるためのインタゲであってインタゲを守るための金融政策ではないということについては柔軟に理解を示されている。(この理解については筆者も以前にエントリーで書いたとおり全く同感。)


つまり金融政策の目的はインフレだけでなく、経済の安定化にもあるという点までは意見に大きな違いはない。


更に他のコメントを見ると、金融政策は「現時点での(期待)インフレ率と失業率」でもって評価されるものとも述べられている。そしてその場合目安となるのは単なる「安定」ではなく「目標とするインフレ率と失業のレンジ」を伴うものであるようである。(又、金融緩和には出口戦略が重要との認識はなさそうである。)

金融政策はその時点時点で最適な金利(あるいは量)が採られるものであって、次に不況に備えたりするものでも無ければ、引き上げ→引き下げを一つのサイクルと見るようなものでもありません。当然、そのような状態になって初めて金融政策が評価出来る、などということはなく、現時点での(期待)インフレ率と失業率でもって評価されるものです。そして、ダラダラと失業率を高めた日本に比べて、アメリカは既にピーク時からかなり持ち直しています(雇用環境が違うので水準や変化幅は比較しにくいが、ピークがどこかというのはかなり頑健)。

目標とするインフレ率と失業のレンジ内にある時に、政策金利をそれを続けるのに見合った水準とすることは当然あり、その水準を目指すことは金利正常化でしょう。


その他にも各コメントの中でカッコ付きで述べられている部分も興味深い。

  • インフレ(あるいは最終的にはそれは経済成長)
  • (需要要因による消費税などの影響を除いたコアコアの)物価

見るべき物価は非需要要因による影響を除いた物価であり、それはあるいは最終的には経済成長であるらしい。


つまり「金融政策はインフレだけを視野にした最適な状態となるようにすべき」というクリアカットな主張には

  • 見るべき物価は非需要要因の影響を除いた物価である。
  • 期待インフレ率、失業率が目標とするレンジ内にあるかどうかが重要である。
  • 但し非需要要因による価格変動を抑えようとして経済の安定を損ねては本末転倒である。
  • インフレは最終的には経済成長である。
  • 期待インフレ率の上昇は実質成長に結びつく

という各種の前提があることになる。また、

  • 中央銀行の預かり知らぬ理由で上がった物価を中央銀行のせいにするのは誰のメリットにもならない。

という点は(方向性はともあれ)筆者も全く同感である。


一方で、これだけ英中銀には理解を示されながら日銀は完全に批判の対象である。

「金融システムの長期的な安定」が「物価の長期的な安定」と同レベルで重要というのはあたりまえのことだと思いますが、仮にそれが正しいとしても、金融システムの長期的な安定の為にはバブル発生を事前に抑制することこそが重要であるとの現在の日銀のスタンスは正しいことにはなりません。このような二つの目的がある場合、金融政策という一つの手段でそれに対処しようとする行為自体が誤りとなります。そして、「物価の長期的な安定」は基本的に中央銀行が行うことが最も効率的であるので、「金融システムの長期的な安定」は金融庁など他の官庁に任せる方が適切となります。あるいは、(現在の考査などではなく)金融政策とは完全に別枠な金融機関に対する監督機能を日銀に与えて、金融政策とは別に行うということでもいいでしょう。


「金融システムの安定は金融庁にお願いします」、あるいは「別の政策手段として権限を下さい」と日本銀行が言うことは正しいですが、「金融システムの長期的な安定」も達成しなければならないので(デフレの継続という)「物価の長期的な安定」が達成できませんでした、ということは完全な間違いです。

バブルを理由に持ち出してくることもまた誤りです。金融政策では一般物価(経済成長)の安定と資産価格の安定という2つの目的は達成できない上に、バブルを抑える手段として最適でもありません。金融政策でマイルドインフレという安定を確保しつつ、バブルをレバレッジ規制などその他より適した政策で抑えるべき、というのが正しい方策であって、バブルを防ぐために金融政策をデフレ脱却には使えない、とするのは馬鹿げた筋違いな話です。


これらの批判の本質は金融政策では物価の安定と資産価格の安定(バブルの抑制)を同時に達成できないのだから金融緩和に伴うバブルリスク上昇への対処は金融政策以外で行うべき、という主張だと理解していた。

(ちなみに筆者は金融政策が直接バブルの抑制を強く意識しない限りバブルをその他の施策で抑制するのは不可能、もしくは極めて困難でその方法は確立されていない、と考えているので、この主張には反対だが、主張としては理解できる。ただ、その場合批判すべきは法律でその様な目標を日銀に課した立法府であろう。ちなみに日銀法改正案が廃案になったことから考えても日銀にその様な目標を課したこと自体が間違いであると考えている国会議員、国民はデフレを長く経験した今となっても過半数には遠く届かないようである。)


ところが、最近のコメントでは

そもそも、中銀による果敢な緩和がバブルの原因である、というのは、まだまだ理論・実証ともにあやふやな話だということを認識していますか?「ジャブジャブ」やら「マネーゲーム」といった観念論的な話は多いですが。

割引率を下げる金利低下が妥当な資産価格上昇を生むのは間違いなくとも、それが実態価値と離れてバブルとなる理由は明らかにされていませんし、金融緩和とは関係ない時にもバブルも起きています。

と述べられており、そもそも金融緩和が妥当な資産価格上昇以上のものをもたらす事にも疑問を投げかけられている。


なるほど、金融緩和がバブル・リスクを上昇させないなら確かにリフレ政策に関して危惧されている主要なリスクの一つはもともと存在すらしなかったことになる。


更にもう一つのリフレ政策の主要リスクと考えられる国債金利の上昇についても

>政府の財政はどうなるだろう? インフレによる名目GDPの底上げは中長期的には一定の増収効果があるだろうが、とりあえず直近の問題となるのは国債金利の上昇である。そして国債金利を抑制するために財政再建が必要となる可能性が高い。


間違い。
市中金利が上がっても利払い負担は増えない。理論的にシンプルに考えれば、市中金利が上がれば、債券価格が下落するので、国債債務残高の時価は圧縮する。これが金利上昇を打ち消す。現実には時価評価はしていないが、政府にはバイバックなどによって上記の理論的な話と同じ状態を作る手段があること、あるいはさらに現実的には上昇した金利での債券の発行は借り換えがくるまで起こらないこと、それと期間構成管理や現在価値の割引などから、実際の負担も最終的には上記の理論的な形と同じくなる(経済学的には同じものなのだから当然)。
結局、財政の安定性は今後にどれだけ発行するかに拠るのであって、今どれだけ積み上がっていても金利上昇はほぼ関係しない。

と述べられており、リフレ政策が国債金利を上昇させるかどうか以前に金利が上昇したとしても「理論的にシンプル」に考えれば財政への負担増には繋がらないし、財政の安定性は国債残高がどれだけどれだけ積み上がっていても金利上昇はほぼ関係しないらしい。


確かにこういう視点から見れば日銀や反リフレ派の主張は全くもって馬鹿げたものにうつるだろう。 

筆者はリフレ政策をめぐる議論は基本的にはある種のトレードオフの問題と思ってきたし、だからこそこういう微妙なトレードオフの問題で、なぜ日銀やリフレ懐疑派が間違っていると簡単に断定できるのか不思議に思ってきたが、リスクがこんなに少ないと思っているならトレードオフの問題ではなく、「素人が見てもわかるリスクよりリターンが圧倒的に高い施策をなぜ日銀はやらないのか? きっと陰謀でもあるに違いない!」という問題となるのは当然かもしれない。


果敢な(?)金融緩和をすれば最終的には一般物価はあがるだろうし、それがイコール経済成長ならこんなに簡単な経済成長策はない。 そしてリフレ政策の副作用として心配されているバブルは金融緩和が原因ではないかもしれないらしいし、そうであったとしても金融政策以外でコントロール可能であり、又、もし間違ってリフレ政策で金利が上がっても、財政への負担増は心配する必要は無いのである。


もしこれらが全て事実と信じられるのであれば筆者も断然リフレ政策を支持する所であるが、残念ながら筆者がリフレ政策を今も支持していないし、当面支持する予定も無い。


(追記)
ちなみに「中央銀行の預かり知らぬ理由で上がった物価」について、その理由としては消費税の増税や油価の高騰の他、下がる理由としても技術革新など色々ありえるという事も指摘されている。 

油価の高騰が正の供給ショックであれば、油価の下落や輸入価格の下落は負の供給ショックという事になり、これも「中央銀行の預かり知らぬ理由で下がった物価」といえるはずである。 

そして(なぜかyasuさんが紹介してくださった)以下の論文では

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/03j008.pdf

これらの事実を合わせると,最近のデフレ局面では,分布が左方向に顕著に歪んでおり,負の供給ショックが生じているといえる。左方向への歪みと平均値の低下(デフレ)のタイミングは一致しており,負の供給ショックが消費者物価の下落に寄与している可能性を示唆している。

と、実証データから日本の1996年以降(少なくとも2003年頃まで)のディスインフレ・デフレについては負の供給ショックが相対価格の分布に顕著な歪みを発生させて平均値の低下(一般物価の低下)をもたらしたものでは無いかと推測している。


さて、日銀は負の供給ショックによる「中央銀行の預かり知らぬ理由で下がった物価」に対して過度に反応してバブルの種を蒔き、長期的な経済の安定を損なうリスクをとるべきだったのだろうか?