人命は経済的トレードオフの対象となりうるのか?(原発問題について)

福島の原発事故後、原発反対派による推進派への非難は先鋭化しており、原発を推進したこと自体が「陰謀」であり、原発にはなんのメリットも無かったというような意見も散見されるようになっている(以前からか?)。 その様などこにでも発生する「陰謀論」は置いておくとしても、原発はリスクとリターンのトレードオフで考えれば選択すべきではなかった、或いは人命をトレードオフ対象にせざる得ない技術は採用すべきでは無いという意見は冷静な論者の間でも強くなってきたように思われる。


人命をトレードオフの対象としてはならないという意見は一面の「正しさ」に於いては確固たるものであり、正面からの反論は難しい。 しかし社会には人命をトレードオフ対象としている物が数限りなくあるという事実にも留意すべきである。


今般の報道では放射線の健康に対する有害性を説明する基準としてレントゲンやタバコが取り上げられることが多かったが、これはレントゲンやタバコと同程度だから安全ですという事ではなく、同程度に危険であるという事であり、つまり実態としてはレントゲンやタバコは人命をトレードオフして何かを得る行為に他ならないということを示している。


但しレントゲンの場合、得られるものは人命に関わる医療的なデータであり、人命リスクと人命リスクとのトレードオフという事になるため、その価値は比較的評価しやすい。日本は諸外国に比べてレントゲンを取りすぎという説も有るが、それも最終的にはレントゲンを取ることが人命リスクの軽減に対してどれだけのメリット・デメリットを持っているかという観点から統計的に検証することが可能である。


一方でタバコは、嗜好品であり人命とトレードオフして得られるものは本人の娯楽・快楽のみであり、全くもってばかげたトレードオフにも見えるが、人はパンのみに生きるにあらず、といった所なのだろう。 娯楽の無い人生を長く生きるよりも少しくらい短くても楽しく生きたいという「本人による」「本人の人命(健康)に関する」選択はある程度は容認されるべきである。 (但し、タバコの場合は周りの人々に与える影響を考えると他人の健康に対するリスクを自らの娯楽とトレードオフしている側面があり、個人的には反対。)


では原発リスクのトレードオフ対象は何だったのだろう? それは経済的に安価なエネルギーを得られるということと、日本と言う小資源国に於いてエネルギー面での(半)独立を目指せるということの2点ではなかったのだろうか。(近年は温暖化ガスを排出しないエネルギーという側面も強調されていたが、これは後付けの目的に見える。)


もし中長期的に原発を全廃するとなれば当面は原油・天然ガス資源の輸入を増やすことになるだろうが、それは人々の生活におけるエネルギー関連出費を増やすことにつながる。その動きが諸外国にも広がれば、原油・天然ガス価格の世界的な上昇にもつながるだろう。 量・価格の両面で資源輸入額が増えることは日本経済に対して悪影響を与えるし、インフレ要因にもなる。又、エネルギー安保の観点からも大きな後退となる為、政府にとって、或いは日本にとって非常に難しい判断となるはずである。


但し、これは福島で起こってしまった現実に対する国民の判断としては十分に有りうる話である。

事故が起こるまでは潜在的なリスクは認めても、全体としては経済的・エネルギー安保的メリットととのトレードオフ判断で、原発を推進してきたわけであるが、今回の事故は原発がリスクとして人命をトレードオフしているという事実をこの上なくはっきりと示してしまった。明示的に人命リスクが示された状況下では経済的・エネルギー安保的なメリットを事故前と同じ基準で客観的にトレードオフ判断することは難しいはずである。


後知恵で考えれば今回の事故は原理的には防げたものであった可能性は高い。もし今原発を新たに設計したなら、同レベル、或いはそれ以上の地震、津波に対応できる原発を建設することも可能だろう。今回の事故を反省材料として、原発の技術的リスクは大きく下がるはずである。

しかし想定外の事象は常に起こりうる。 「想定外を想定すべきだった」という意味のない言説も見られるがどこまで想定を拡張しても想定外は想定外である。そして想定外の事象が起こった場合のリスクは人命である事を今回の事件で国民はこの上なくはっきりと認識したわけである。 


筆者は今回の事故で世界の原発がなくなるとは考えていない。但し先進国における原発推進の動きは停滞するはずである。そして、結果としてそのことは一部の発展途上国における原発推進の動きにつながるのでは無いかと考えている。


日本を初めとする豊かな先進国は例え原発が無くなったとしても原油・天然ガス等を海外から買ってくれば済む。 エネルギー安保の視点はともかく、先進国にとってはこの問題は(一人当たりで見れば)若干のコスト増で片がつく話とも言える。
しかし、発展途上国にとってはエネルギー価格が上がることは経済にとってクリティカルである。そして発展途上国における貧困は、先進国における貧困より遥かに高い人命リスクを孕んでいる。アフリカを初めとした発展途上国で貧困が子供の命を奪っている事は平均寿命を見ても明らかである。

よってこういった国の中で比較的経済力が高い国(人口が多い国)が経済成長を大きく阻害するエネルギー価格の高騰に対応するために、リスクを承知で原発を導入する可能性はかなり高いのではないだろうか。原発は住民への補償費用等を考えなければ現時点では相対的に安価なエネルギー源であり、そのリスクを取る事で経済成長を達成し、貧困による人命リスクを軽減するというのは検討に値する選択肢のはずである。但し、この場合事故の発生やテロ(或いは核兵器への転用)等による人命リスクは先進国で原発が運営された場合より高まるという問題も同時に存在するだろう。


筆者の個人的な意見としては日本は先進国の責務として代替エネルギーの開発を進める一方でその目処がつくまでは原発を(リスクに対する最大限の真摯な取り組みを行った上で)維持すべきと考えているが、よりミクロ的な視点で見れば原発立地点の住民の不安に対して如何に対処するかという問題など、解決の道筋の見えない懸案事項が数多くある事も確かである。


いずれにしても簡単に結論のでる話では無いが少なくとも言えることは人命をトレードオフ対象とすること自体をもってのほかと考える原発反対派の人々はより大きな視野で原発を全廃した場合の派生的なリスク等を考えるべきであり、その前にとりあえず禁煙すべきであるということである。