「日銀陰謀論」の正体

ある経済評論家なり大学教授なりが日銀の政策を批判した場合、どちらが支持されるだろう?


その批判が高度に理論的、学術的なものであれば、一般人の理解の範囲を超えているはずなので、余程その人が経済学者として高名な場合や、学会のコンセンサスが日銀批判でほぼ固まっている場合を除けば、最適な専門家として選ばれた日銀総裁の政策判断が(消極的に)支持される事になる可能性が高い。


そしてこの場合、教科書レベルでわかるような誤りが日銀の政策にあるというような批判をしてもまじめに受け取る人は殆ど居ないであろう。 乗数効果がわからない財務大臣は居ても、経済の教科書レベルの話がわからない日銀総裁が居るとは常識的には考えられないからである(注)。


ところが、これに陰謀論が加わると話は変わる。


日銀が陰謀によってとるべき金融政策を歪めている、というような話がいきわたり始めれば金融政策に関する問題が理論の正しさではなく日銀と言う組織に対する信頼感の問題へと矮小化されてしまう。 日銀職員は公務員であり、しかも高度な専門知識を有する専門集団である為給与水準も高い。 つまり昨今批判の矢面に立たされがちな高給公務員というジャンルに入れてしまうことが可能であり、それが「日銀貴族」というような意味がわからないが貶めようとする意思だけははっきりと感じられるネーミングに繋がったりする。


そこに他国の有名な経済学者や、テレビでよく見る「声の大きな」経済評論家のそれらしい批判が加われば一般人としてはそういうこともあるかな?と思ってしまう。 まして不況ならなおさらである。


それでも森永卓郎氏を日銀総裁にしようなんて本気で考える人は殆ど居ないはずだが、日銀の独立性維持と政策遂行には国民の信任が必要であり、その信任を維持することも長期的な目標にとっては必要である為、金融政策の舵取りが困難となってくることは十分に考えられる。


しかし、その様な圧力に迎合して政策を変更することが必ずしも良い結果に繋がるとは限らない。陰謀論が正しくなければ、もともと日銀が取っている政策は総合的に考えてリスクとリターンのバランスの取れたものである可能性が高く、そのバランスを崩すことはリスクを無駄に高めることになる恐れがある。


もちろん陰謀論が事実の可能性もゼロではないが、その場合でも日銀側の理論に対する理論的な「批判」は可能なはずであり、そこを飛ばしてプロパガンダやレトリックで政策変更を迫るような手段はいずれにしろ問題である。 

この場合たとえ結果が正しかったとしても、理論や社会的な信用度で勝てない相手をプロパガンダやレトリックで攻撃するのはフェアではない。 そしてもしその理論が間違えていた場合には、間違えた理論をフェアでない手法で推進して悪い結果が出るという最悪の組み合わせになってしまう。 
理論的に正しいのであれば、学会等での十分な検証を経てから世に問うべきであり、時間がかかりすぎるという意見もあるかもしれないが、それはおかしな議論で国民生活に混乱を生じさせないためには必要な手続きであるはずである。


一方でリフレ派(の一部)は自らの理論が絶対に正しいという事を出発点にして、主張自体は正しいのだからそれを進める為にはどのような手段を用いても正当化される、と考えているかのようである(以下参照)が、そのような「目的が手段を正当化する」というような発想は危険であるし、理論の正しさ如何に関わらず、非難されるべきである。

そしてこれらの陰謀論は理論的にも実証的にもまだ明確な答を見出せていない「デフレ問題の解決策(リフレ論も含む)」に関する本当に必要な議論にとっては雑音に過ぎないはずであり、雑音が余り大きくなりすぎては本来の問題解決にあたる人々も集中して仕事に取り組めないだろう。


(参照)
飯田泰之氏
@ikedanob 「お金を刷ればデフレはたちどころに止まる」は運動スローガンでしょう.政策を実行までもっていくためには理論的な話から宣伝活動までさまざまな水準での主張が必要になるでしょう.
http://mobile.twitter.com/iida_yasuyuki/status/28582919132

上念司氏
http://ow.ly/ZlhV 私は「ハイパーインフレ」とか「国家破産」とかいったものを無批判に信じてしまう人たちをとりあえず正しい方向に向かせたいと思って書きました。トンデモを論破するにはある程度レトリックが必要です。 #デフレ危機_
http://twitter.com/smith796000/status/8070961222


(注)
乗数効果の分からない財務相も存在しないと思われていたが菅直人財務大臣という「ブラックスワン」が突如として現れてその常識を打ち破った。 そういう意味では日銀総裁についても「ブラックスワン」が現れないとは言い切れないが、選考過程の違い等考えればこちらの「ブラックスワン」が現れる確率は遥かに低いはずである。


(追記)
ちなみに陰謀論の観点から、日銀の持つ独立性に対して「反民主主義的」だというような非難もあるようだが、その高度な専門性と政治家が直接関与することの既知の危険性から日銀は独立性を維持すべきであるということを民主主義的な手続きに則って決めたわけであり、更にその独立性を制限しようという法案も民主主義的に選ばれた立法府で廃案となっており、民主主義の観点から見ても現状の独立性に全く問題はないはずである。