クルーグマンは変節したのか?

クルーグマンの日本論の再考についての議論が錯綜している一つの原因はクルーグマン自身が過去にも主張を微妙に変えてきていることに加え、日本の信者が勝手に妙な論(高橋氏のみょうちくりんな貨幣数量説とか)を付け加えたこと、そしてそれをまとめて批判する人々がいることであり、はっきり言ってかなりわかりにくい。

しかし今回はかなりクルーグマン自身が「 I find it useful to approach this subject by asking how I would change what I said in my 1998 paper on the liquidity trap.」と書いているように、かなり明示的に意見を修正しているので、そのあたりを筆者なりに整理しようとしたのが、前回のエントリーであったわけだが、やはりコメントを見るとわかりにくい話だったようである。 そこでいくつかのコメントを引く形で、もうすこしクルーグマンの日本論の修正について書いてみる。


まず、「クルーグマンはアベノミクスが失敗だとは言っていないし、異次元緩和を支持している」というような批判?については全くその通りとしか言いようがない。 

日本では今回のクルーグマンの日本論再考を異次元緩和と直結するものと捉えるむきも多いようだが、エントリーを見るかぎり「異次元緩和が失敗したから再考した」という話ではない。 クルーグマン自身も「not so much about the question of whether Abenomics is working / will work (unclear, don’t know) 」と断っている。 よって「異次元緩和が失敗したのは消費税増税のせいだ!」という意見もここでは関係ない。


記事中の記述を見る限りクルーグマンが再考するにいたったのは1998年以降の日本、つまりいわゆる「失われた20年」を観察した結果と見るほうが自然だろう。 その中でクルーグマンが考えを変えた根本的なポイントは

  • 失われた10年の真っ只中にあったデフレ下の日本について、当時は経済が潜在成長を大きく下回っており一時的に自然利子率がマイナスになっている状態であると仮定したが、その後の日本の推移を見れば、デフレ下にもかかわらず欧米よりも潜在成長率に近い成長を達成してきたと考えた方が自然であり、にもかかわらず成長率が低くインフレ率も上昇しないのは人口動態の影響で長期停滞に陥っており自然利子率が恒常的にマイナスの状態になってしまっている事に原因を求めることができるのではないか。

という点にある。そしてそこからの帰結としてクルーグマンが主張しリフレ派が繰り返し引用していた「流動性の罠下であっても中央銀行が「無責任になることを信頼できる形で約束することによりデフレを脱却する事ができる」という対策は、あくまで「自然利子率がマイナスになっているのは一時的な現象である」という前提に立ったものなので、自然利子率が恒常的にマイナスとなった状況下ではその限りではない、と繋げているわけである。 


ちなみにこの長期停滞の原因の最有力候補として人口動態をあげている事をもって「人口デフレ論を唱えた藻谷浩介氏が正しかった!」みたいな話をするのも少しおかしい。 

前回も書いたが、もともとクルーグマン本人は人口動態が経済を抑圧する事については繰り返し言及しており、デフレに陥った原因として人口動態を否定していたわけではなかった。たとえば2014年に「クルーグマンのかんたんな「長期停滞」克服法は機能するのか?」というエントリーで取り上げた "Demography and the Bicycle Effect” という記事(経済学101様による翻訳はこちら)では

経済学者アルヴィン・ハンセンが「長期停滞」(secular stagnation) の概念をはじめて提案したとき,彼は投資需要の低迷に人口増加の鈍化が果たす役割を強調した.

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現代の議論は,この強調点をふたたび取り上げるようになっている:日本の労働人口減少は,あの国が抱えるいろんな問題の重要な源泉になっているように見える.また,ヨーロッパとアメリカで人口増加が鈍化しているのは,ぼくらも日本と同様の型にはまりつつあることを示す重要な指標だ.

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おおむね完全雇用を達成するには,経済は十分な支出をしてその潜在力を使う必要がある.でも,支出の重要な要素である投資は,「加速効果」に影響を受ける:つまり,新規投資の需要を左右するのは経済の成長率であって,目下の産出水準じゃない.ということは,もし人口増加の鈍化によって成長が鈍れば,投資需要も減少する――そうなれば,経済は永続に近い不況に追い込まれてしまう.
http://econ101.jp/ポール・クルーグマン「なんで経済学者は人口成/)

と、人口動態が長期停滞を引き起こすメカニズムについて説明している。 但しこの時点ではクルーグマンはその解決策について

さて,これへの対処はかんたんなはずだとは言える.十分に金利を下げてやれば,人口増加が鈍化してても投資需要を維持できる.問題は,必要な実質金利は安全な資産ではマイナスになってしまうかもしれないってこと.すると,十分に金利を下げられるのは,十分なインフレがあるときにかぎられるってことになる――で,そうしようとなると,今度は物価安定に対するイデオロギー的なコミットメントにぶつかるハメになる.

と論じている。 この「かんたんなはず」の対処の前提はたとえ流動性の罠下であったとしても金融政策は有効であり、中央銀行が「物価安定に対するイデオロギー的なコミットメント」を無視すれば、つまり「無責任になることを信頼できる形で約束する」ことができれば期待インフレを高く(理想的には4%以上にまで)上昇させることができ、結果として実質金利を十分に下げる事ができる、というのが修正前の日本論だったわけである。 


一方、今回の修正点は「日本は自然利子率が恒常的にマイナスの状態になってしまっている可能性があり、その場合は量的緩和は効果が無いかもしれない("even a credible promise to be irresponsible might do nothing: if nobody believes that inflation will rise, it won’t.")ということであり、この点については藻谷氏が正しかったと言うより、「日本経済の主な問題はデフレではなく、人口動態だ」、「経済成長を回復する上で金融政策の効果はかなり限られている」、「日銀にデフレを解消する力はない」と論じた白川前日銀総裁が正しかったというほうが妥当であろう。 


では、クルーグマンは変節したと言えるのだろうか?

確かに、クルーグマンは日本については意見を修正しており、その修正点は「日本の不況の元凶は日銀のデフレ政策だ!やる気さえあれば金融政策でデフレ脱却は簡単だ!デフレさえ脱却すれば全てがよくなる!」と繰り返してきたリフレ派にとっては大打撃のはずであるが、それはそれとして修正後のクルーグマンの意見は「もっと量的緩和に加えて爆発的に財政出動すればよい」というものであり、方向性は変わっていない。これについてはロジック云々以前にクルーグマンが思想的にリベラル(あるいは欧州型社会民主主義)であることと無縁ではないと筆者は考えている。やや乱暴にいえば社会民主主義は労働者の貧困、失業などの問題は議会や政府の管理と介入により軽減・解決すべきというものであり、現状が好ましくないのであればそれは政府が介入すべき問題なのであり、この点ではクルーグマンは全くぶれていないとも言える。

ただし、今回の記事の最後では、クルーグマン自身が自らの提案(爆発的な財政出動)が実行に移される可能性は絶望的に低いと認めており、かなり弱気にも見える。そういった意味では「変節」ではなく「転進」あたりが妥当なところではないかというのが筆者の見方である。


[追記]
前回のエントリーのコメントには「リフレ派を批判するだけで、どうすれば日本経済が回復するのかという提案がない」というようなものもあったので、この点についても少し書いておく。

まず、そもそもの話として、筆者は日本の現状は潜在成長に非常に近い状況であると考えているので、景気後退時のように財政や金融で景気を「刺激」するような対策は基本必要ないと考えている。 もし実現すべき日本経済のモデルとしていまだにバブル崩壊前の姿を思い描いているならそんなものはまたバブルでもこないかぎりまず無理であり、理想のほうを修正する必要があるだろう。

一方でブログでも繰り返し書いてきたとおり、筆者も日本経済の主な問題はデフレではなく人口動態だと思っており、この対策についてはかなり前に「少子化の加速を少しでも食い止めるにはどうすればよいか?」というエントリーで考察した事があるが、現実問題として根本的な解決は難しいだろう。

よって当座の対処すべき問題はクルーグマンも指摘したように日本の現況が大幅な赤字財政に支えられいることで、かつそれが維持可能性が強く疑われるようなレベルであることであるが、これを解消するのはも緊縮財政しかないだろうというのが筆者の理解である。 もちろん「緊縮財政で景気が良くなる」なんてことは無理なので、緊縮財政を通じて財政再建を目指している間は多かれ少なかれ経済は悪化するわけであるが、他に方法は無いだろう。(筆者は上げ潮派的な「財政出動で財政再建」は99%無理だと思っている。もしそんなことが可能ならこれだけの累積債務が積みあがる事は無かったはずである。)

このように書くと、「クルーグマンは現在の日本の雇用が完全雇用に近づいてきている、と言っているけど、現状で完全雇用だとは言っていない。それなのに財政再建なんてとんでもない。失業者を見捨てるのか!」というコメントが来るのが予想できるが、そもそも完全雇用であっても失業者はゼロになるわけではなく、財政再建は常に失業者が存在する状態でやることになるわけであり、かなり控えめに見ても現在の日本の雇用が完全雇用に近づいてきているのであれば、それは財政再建のチャンスと言えるだろう。ちなみに失業者や貧困層について言えば筆者は失業保険をはじめとしたセーフティーネットを強化することには賛成であるが、一方で完全雇用をぎりぎりまで(あるいは行き過ぎて)追及した結果として財政危機や金融危機を招いてかえって大量の失業者を出すようなリスクをとるのは全く割にあわないと考えている。

よって筆者の提案をあえてまとめるとすればそれは「日本経済を回復させる」ためのものではなく、当面は「日本経済を悪化させる」ことを承知の上で緊縮財政を進めるべしというものになるだろう。
(以前に冗談で書いた非常にトリッキーな財政再建?の提案として、「あえてデフレを可能な限り維持したまま日銀に国債を買いすすめさせて金利負担を大幅に軽減する」というのは冗談ではなくなってきているが、これをやりすぎるとさすがに資金がじゃぶじゃぶになりすぎて何かの拍子に投機的な資金の動きがコントロールできなくなりそうなので、ここら辺りが限界だろう(と思うが、もう既に限界を超えてるかもしれない)。)