「定常不況」の正体

筆者が何度か考察してきた「定常不況」はある意味、自己矛盾的な状況といえる。 つまり一般的な理論によれば定常状態=長期均衡では安定的に需給が一致しているはずで、すなわち定常であれば不況ではありえないという事である。 そしてこの論法に従えば、定常不況に見える状況があったとしても、それは金融政策などでかんたんなはずの対処を失敗したからに他ならず、つまり日本の不況は日銀のデフレ政策のせいだ!ということになるわけである。


しかし、筆者は「人口増の鈍化等に起因する長期安定的な負の需要ショック」を考えるなら、「定常不況」という自家撞着的な状況もある程度は説明がつくと考え、何度か取り上げてきたわけだが、今回は短期、長期における均衡状態と各々に対応する潜在成長率及び自然利子率の関係に着目して、すこし順序立ててこの「定常不況」について論じてみたい。


均衡には短期における均衡と長期における均衡があり、それぞれの状態に対して、期待される潜在成長率とその潜在成長率を達成する為に必要とされる自然利子率がある。(詳細は小田・村永(2003)参照) 

この二つがなぜ異なるかといえば、ざっくりいえば現実においてはトレンドから予測された水準から現実の産出量をかい離させるような様々な事象がしばしば発生するため、産出量の推移が必ずしも安定的なトレンド上にぴったり乗るとは限らないためである。 この予測された産出量と現実の産出量の差が産出ギャップであり、これを作り出す事象を経済ショック、そしてこの産出ギャップを埋める為に経済ショックの影響を打ち消して産出ギャップを不変に保つことにより、より安定的な経済成長を実現させるような実質利子率が、短期均衡的な自然利子率という事になる。

これに対して、経済ショックを無視できる長期安定的な成長経路上で実現する実質利子率が長期均衡的な自然利子率であり、この時実現する成長率が潜在成長率(長期)である。 

両者の関係は以下のように表す事ができる。

  • 短期自然利子率=長期自然利子率+各種経済ショックに起因する短期変動
  • 短期自然利子率≒潜在成長率(短期)+需要ショック成分

やや解りにくい話であるが、ここで出てくる潜在成長率(短期)は供給ショックと需要ショックの双方から影響を受けており、可変的なものとされる。そして、長期自然利子率、潜在成長率(長期)はそれぞれ短期のものの長期平均になる。

  • 長期自然利子率=短期自然利子率の長期平均
  • 潜在成長率(長期)=潜在成長率(短期)の長期平均

又、同時に長期均衡における潜在成長率はその定義上以下の式でも表すことができると考えられている。

  • 潜在成長率(長期)=技術進捗率+労働人口増加率


ここで短期・長期の潜在成長率と自然利子率を見比べてみると、供給ショックと需要ショックの取り扱いが異なる事がわかる。 つまり生産性の向上のようなファクターは安定的であろうが無かろうが逐次累積されていって、その長期平均が潜在成長率に取り込まれるのに対して、需要ショックはその過程における循環的な変動に過ぎず、長期平均すれば無くなるはずのものに過ぎないわけである。 これはざっくり言えば、長期的には生産性が向上して供給力が増えた分だけ経済は成長するということが大前提にあるという事になる。


ところが、人口増の鈍化による需要の減少のような長期安定的に継続する負の需要ショックは、この体系の中では非常に収まりが悪い。 需要ショックであることを考えれば、あくまで短期均衡の範疇の話になるが、一方で、この需要ショックは長期安定的に継続するわけであり、しかも長期平均をとってもなくなるわけでもない。 


定義的な問題と考えると、長期安定的に継続したとしても本質的にはあくまで短期均衡の話である、とすれば、一応の収まりはつく。 ただ、この場合の問題は短期均衡の為に必要なこの負の均衡実質金利は、長期均衡における均衡実質金利とは異なり、実質金利がその水準を取る為に金融緩和を必要としていることである。 何度も書いているが、中央銀行のバランスシートも拡大には限界があり、長期にわたって継続する負の需要ショックを永遠に金融緩和によって対応し続ける事は困難である。


一方、この長期安定的な負の需要ショックも潜在成長率(長期)に組み込まれるとして、これを需要ショックではないと考え、負の自然利子率が長期均衡におけるものであると無理やり主張するのは一見(都合の)良いアイデアにも見えるが、実態は変わらない この場合、技術進捗率と労働人口の推移によって期待される潜在成長率を長期安定的な負の需要ショックを組み込んだ潜在成長率が常に下回り続けるわけで、結局人口増の鈍化が(一人当たりの)潜在成長率を引き下げるという話であり、従来の意味での産出ギャップが常に生じ続けるということになってしまう。 


結局この二つの考え方は、潜在成長率はあくまでもっと高いと考えて、半永続的に金融緩和を打ち続けようとするのか、潜在成長率は人口増の鈍化によって引き下げられているのだから、それを無理やり引き上げるような金融緩和はいつまでも続けられないと考えるかの違いとも言えるかもしれないが、いずれにしろこういった問題を抱えた国は問題を抱えていない国と比べると政策運営に高いハードルがあることは間違いなく、相対的にみて不況と呼べるような定常状態が続くことはそれほど不思議ではないし、その原因が必ずしも金融・財政政策が他の国よりも劣っていたからだとは言えないであろう、というのが筆者の理解ということになるわけである。