人口動態、長期金利、定常不況 (補足)

前回のエントリーにまたコメントをもらったので、すこし補足しておく。

一般に長期金利は

長期金利 = 期待潜在成長率 + 期待インフレ率 + リスクプレミアム

であらわされる水準に落ち着くとされる。 そして長期では通常「期待潜在成長率 ≒ 均衡実質金利」となるため、この水準では完全雇用下でかつインフレ率が上がりも下がりもしない状態が持続することが期待できる(もちろん常にではないが)。

ここに問題がある。技術進歩が生じれば均衡実質金利が上昇するので誤解したと思うのだが、完全競争を仮定した教科書的なモデルでは実質金利は資本の限界生産物と一致するので、経済成長率がゼロでも通常は正の値を取る(例えばここの(5.2)式を参照)。

長期金利について言えば上記のようにあらわすのはそれほど珍しい事ではないし、その理論的背景についてもたとえば白川前日銀総裁の著作で紹介されていた「自然利子率について:理論整理と計測 小田・村永(2003)」では経済成長モデルの中で長期均衡における自然利子率が一定の前提の基で潜在成長率に近似することができる事を示しており、それほど問題があるとは筆者は考えていないが、一方でこの指摘通り完全競争を仮定した教科書的なモデルに従って均衡実質金利が資本の限界生産性と一致すると考えるほうが「負の均衡実質金利は不安定ではないか?」という懸念はむしろ説明しやすいかもしれない。

資本の限界生産性は収穫逓減があったとしても基本的には常にプラスであり、このモデルから導き出される長期均衡における自然利子率は通常はプラスになる。 つまり人口増加が鈍化していても投資需要を維持できる「負の均衡実質金利」は長期均衡における均衡実質金利を下回っていることになる。 そしてこの差が長期的にどのように推移していくのかが問題になると筆者は考えている。

つまり潜在成長率 1%, 均衡実質金利 -2%の時に、金融緩和で期待インフレ率を高めに誘導して長期金利 1%, 期待インフレ率3%の状態を 一時的に達成したとしても、その時の長期金利は「期待潜在成長率 + 期待インフレ率 + リスクプレミアム」を大きく下回っており、金融政策が中立的となれば、長期金利は「期待潜在成長率 + 期待インフレ率 + リスクプレミアム」に向けて上昇していくことになる。

上述の理由で長期金利を決定する方程式がおかしい上に、その後の議論では『長期では通常「期待潜在成長率 ≒ 均衡実質金利」となる』と言うブログ主の仮定が維持されていないので、論理的に齟齬が見られる。潜在成長率1%≠均衡実質金利-2%だって。

一般に均衡状態は、需給が一致していて、安定的な事を意味する。不安定なケースもあるが、不安定な均衡状態を描写するには囚人のジレンマのように抜け駆けすると得になるような仕組みが必要なので、ブログ主の主張を通すにはもっと複雑な仕掛けが必要になるであろう。

前半についてはあくまで「"長期では"通常「期待潜在成長率≒均衡実質金利」となる」一方で、"短期では"「潜在成長率1%≠均衡実質金利-2%」になっているから、この負の均衡実質金利は長期的には維持できないのではないか? という話で、別に論理的に齟齬はないはずだが、それよりも興味深いのは「一般に均衡状態は、需給が一致していて、安定的な事を意味する」から「負の均衡実質金利」も安定的であるとしている点である。

しかし、「負の均衡実質金利」では短期的な需給が一致しているかもしれないが、一方で実質金利が資本の限界生産性を下回っているわけで、この意味では全く均衡していない。 よって実質金利がこの「負の均衡実質金利」からかい離して資本の限界生産性に近づいていくことは別に複雑な仕掛けがなくても十分に説明できるように見える。


一過性の需要ショックに対応する場合には、この実質金利の推移は特に問題にならない。 金融緩和で引き下げた実質金利が戻る過程でショックが吸収されれば、実質金利が長期均衡における自然利子率に戻っても安定的な状態を維持できる。 しかし人口問題のように趨勢的に需要に減少圧力が掛かり続ける場合、これを相殺し続けるためには永続的にこの「負の均衡実質金利」を維持し続けなければならない事になる。 つまり長期的な均衡値に近づいていかないように永続的に金融緩和を行ない続ける必要があることになるが、流動性の罠に嵌っている訳でもないのにそんなことをすればインフレのコントロールが効かなくなる可能性が高いし、それ以前に中銀のバランスシートにも限界があり、早晩続けていられなくなる、という前回の結論になるわけである。


[追記]
再び id:uncorrelated さんから反論が来たので、補足。

追記(2014/06/12 10:50):反論が来たので、コメントを追記しておきたい。半分は日本語表現の問題なのだが、ブログ主が主張したいのは「負の均衡実質金利が不安定」と言うことではなく、「負の実質金利が不安定」と言う事では無いであろうか。『人口増加が鈍化していても投資需要を維持できる「負の均衡実質金利」は長期均衡における均衡実質金利を下回っている』は均衡実質金利が二種類出てきており、しかも「負の均衡実質金利」は資本市場が不均衡になると指摘している。

「クルッグマンのインフレ療法は加速しない」の最後に、「本当に均衡実質金利がマイナスなのか疑問がある」と書いておいたのは、この議論のことを指している。「資本の限界生産性は収穫逓減があったとしても基本的には常にプラス」になるので、「負の均衡実質金利」が実現されるには大きな減価償却率が必要になり、クルッグマンはこれを仮定していると推測されている(平田(2012))。過疎化が進むと、地方にある資本などがまだ使える状態で不要になり、それが減価償却率を引き上げるなどの議論が必要かも知れない。


均衡実質金利が二種類出てきていること自体は意図したものであり、それこそが一連のエントリーのテーマであったわけだが、説明不足であったようなので追記しておく。

再び、「自然利子率について:理論整理と計測 小田・村永(2003)」からの引用となるが、ここでは自然利子率はその達成すべき均衡が長期のものか短期のものかにより二種類が存在すると説明されている。

2.3.2 短期自然利子率と長期自然利子率
 自然利子率の概念は、長期均衡、短期均衡のいずれが達成されている場合の概念として捉えるかにより、以下のように2通りに分類することができる。

  • 短期均衡的な自然利子率は、毎期発生する様々な経済ショックの影響を打ち消して産出ギャップを不変に保つことにより、常に安定的な経済成長を実現させるような実質利子率である。経済ショックに応じて、短期的に変動する。本稿では、これを単に自然利子率と呼ぶか、または短期自然利子率と呼ぶ。
  • 長期均衡的な自然利子率は、経済ショックを無視できる長期安定的な成長経路上で実現する実質利子率(一定値)である。短期自然利子率の長期平均値に相当する。本稿では、これを長期自然利子率と呼ぶ。

両者の関係は、次のように整理することができる。

  • 短期自然利子率=長期自然利子率+各種経済ショックに起因する短期変動 (2-3)

一般に、自然利子率という用語が使われている場合、短期・長期いずれの概念を意味しているのかに注意を要する。従来は暗黙のうちに長期自然利子率を想定することが多かったが、最近では、短期自然利子率を踏まえた議論も増えてきている。

今回のエントリーに即して言えば期待潜在成長率、もしくは資本の限界生産性に対応すると思われる正の均衡実質金利は、「長期均衡的な自然利子率」であり、クルーグマンのエントリーにある足元の需給を一致させる「負の均衡実質金利」は「短期均衡的な自然利子率」ということになる。

つまり上記引用における「各種経済ショックに起因する短期変動」が、人口増の鈍化に起因する需要ショックということになるわけだが、問題はこれが「短期変動」ではなく「趨勢的な変動」であることであり、よって長期安定的な成長経路を実現するためには常にこの「負の均衡実質金利」を取り続けなければならないことになるが、それは金融緩和を永続的に打ち続けることになり、難しいんじゃないの、という話だったわけである。


[追記2]

コメントのコメントのコメントでid:uncorrelatedさんから以下のような指摘をもらったが、伝わっていない点がいくつかあるようなので再追記。

コメントのコメントで定常状態を意味する長期均衡と、定常状態への仮定である短期均衡の二つを使い分けていると言われたのだが、そうだとすると二つ問題が出てくる。

一つは負の均衡実質金利が短期のものだとしても、その場合は実質金利をマイナスにすることは肯定されるし、そのうち均衡実質金利が正になったとしても鞍点経路の上を動いているのだから不安定とは言えない(関連記事:「均衡」と「定常状態」で経済評論家に騙されないための知識)。短期均衡が連なって長期均衡が達成されるわけで、どちらか二択と言うわけではない。

一つは『クルーグマンのエントリーにある足元の需給を一致させる「負の均衡実質金利」は「短期均衡的な自然利子率」』としているが、均衡実質金利の低下理由を労働人口の減少を前提としている以上は長期のものだと考えるべきであろう。小田・村永(2003)の第3節の「長期均衡における自然利子率」でも、人口増加率の影響に言及されている。もっともブログ主は『「短期変動」ではなく「趨勢的な変動」』とも書いており、長短の区分けが明確でない。

まず、短期均衡における「負の均衡実質金利」が鞍点経路の上を動いて正の長期均衡における衡実質金利に至ることを仮定して「不安定とは言えない」としているが、そもそも人口動態による影響が趨勢的であるのであれば、足元の需給を一致させるためにはずっと実質金利をこの「負の均衡実質金利」に誘導し続けなくてはならないわけで、鞍点経路上を勝手に動かれては困るはずである。 (鞍点経路の上を動いた場合は短期均衡的にみれば実質金利>「負の均衡実質金利」となり、景気に対して抑制的になってしまう。)


そして「長短の区分けが明確でない」というのは、まさにそこが筆者が考えるこの問題の要点。

定義上では長期均衡的な自然利子率は「経済ショックを無視できる長期安定的な成長経路上で実現する実質利子率」であるが、クルーグマンのエントリーにある「負の均衡実質金利」は人口動態による需要ショックを相殺する為に必要な実質金利水準であり、その意味では「長期均衡的な自然利子率」ではなく「短期均衡的な自然利子率」である。

しかしながら、コメントにもある通り、この人口動態による影響は「長期のものだと考えるべき」であり、そうすると「長期安定的な成長経路上で実現する実質利子率」である長期均衡的な自然利子率と異なる(大きく下回る)「負の均衡実質金利」を"長期"にわたってとりつづける(実質金利をそこに誘導しつづける)必要があるが、それは「長期安定的な成長経路上で実現する実質利子率」ではなく、その状態が長期安定的とは言えない可能性があるということになる。
(ちなみに資本の限界生産性が常にプラスなのに、「負の実質均衡金利」が実現することも、前者が長期均衡、後者が短期均衡における均衡実質金利に対応していると考えれば無理なく理解できるのではないか?)


で、安定的でなければ何が起こるかだが、筆者の考える一つのパターンはまさに実質金利が「鞍点経路の上を動いて」正の長期均衡における均衡実質金利に近づいていくケースであるが、その場合は上で書いた通り、短期均衡的にみれば実質金利>「負の均衡実質金利」となり、景気に対して抑制的になってしまう。 で、それを避けるためにまた金融緩和を行って実質金利を引き下げるとすれば、それは結局金融緩和を永続的に打ち続けることになり、難しいんじゃないの、という話だったわけである。