原油価格高騰と先物市場での投機の拡大の関係について

原油価格の高騰の要因が先物市場での投機の拡大にあるかどうかについてはまさに価格が急騰していた2008年頃に論争があり、そこで「投機が主因でない」という主張を展開した代表的な論者はクルーグマンだった。

Speculation and Signatures  Paul Krugman (June 24, 2008)
http://www.princeton.edu/~pkrugman/Speculation%20and%20Signatures.pdf


筆者がこの記事を最初に目にしたのは既に価格が(一旦)下落した後で、そのロジックについて違和感をもったものの、まあ古い話でもあるので取り立ててエントリーにもしなかったのだが、前回のエントリーへのコメントでこの論文?があげられていたので、これを機会にすこし考察してみる。


上記の論文でのクルーグマンの論点については「himaginaryの日記」様の第一回目のエントリーで分かりやすく説明されていたので、筆者が重要と思う所を抜き出させてもらうと、

先物市場は、クルーグマンが23日のOp-EdBlogに書いているように、あくまでの将来価格についての賭けを行なう市場であり、その段階では現物市場に無関係なのです。

http://krugman.blogs.nytimes.com/2008/06/23/speculative-nonsense-once-again/

先物が現物を動かすのは、両者の間で裁定取引が発生した時です。具体的には、先物価格Fと、現物価格Pにキャリーコスト(金利i+貯蔵コストS_c)を加えたものを比較して、前者が後者よりも高ければ、先物を売って現物を買う取引が発生します。そうすれば、借金して原油を買っても、1年後の決済では必ずFで売れますので、金利と貯蔵コストを払っても儲けが残るからです。実際にそうした取引が起きれば、F=P+i+S_cに収束し、同時に貯蔵の増加が観測されるはずです。しかし、それは起きていない、むしろF < Pになっているし、貯蔵の増加も見られない、というのがクルーグマンの主張です。
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20080701/1214918711


確かにこのロジックに従えば貯蔵の増加が見られない事は先物市場が現物価格を動かしていない明らかな証拠となるわけであるが、筆者は原油先物市場の価格は貯蔵の増加を経ることなく現物価格に波及しうると考えている。


原油は言うまでもなく地下から産出される。 もし現物価格が$50/バレルの時に、1年後の先物価格が$100になれば何が起こるだろう? 単純に経済性的な観点から考えれば少なくとも一定割合の生産者は$100で先物を売る(or 先渡し取引をする)と同時に生産を止めてしまうのではないだろうか? 

原油は生産すればするほど減っていく資産であり、今現在1万バレル生産できていたとしても生産を続ければ1年後には5000バレルになってしまうことはざらにある。 もし$100ドルで1万バレル売りたければ、今$50で売っている場合ではないのである。 そして少なくとも一部の油田では、原油の生産を止めることのコストは生産された原油やその製品を貯蔵するコストと比べれば遥かに安い。

しかし、現実に多くの生産者が現物価格と先物価格のギャップに反応して生産を止めてしまえば今度は足元の需給が逼迫する。 また、原油の短期的な供給曲線はある一定量から上はほぼ切り立っており、価格が上昇した場合に短期的に増やせる供給量は物理的に限られている為、このように先物市場が現物価格に影響を与える場合、その影響は非常に高い連動性を示すと予測される事になる。 

念の為に書いておけば上記は先物市場が先行して上がり、期間を置いて現物価格が追随するという話では無い。 もしそのような分かりやすい関係があればそれこそ絶好の裁定機会になるので、その差は極小化され、データ上は二つがかなりきれいに連動することになるはずである。 つまり現象としては先物価格が上がるときには現物価格も上がるということが確認されるだけになる。


これをもっと単純に言えば現物価格が$50/バレルだったときに現物価格がそのままで先物価格が$100になれば、現物を売るほうは足元で$50では売らなくなり「タームで$90、スポットなら$100じゃないと売らねー。嫌なら当面生産止めて先渡し取り引きか先物市場で$100で売るわ、」となる。

こういう状況に対して購入者の多くが「$100ならいらねーよ!」と言えるのであれば、取引が不成立となり実際に先物市場でショート(売り)が多くなって、市場が軟化し、先物価格の方が現物価格に近づいてくるのだろうが、多くの場合、「$100なんてあくどすぎだろ! 幾ら儲ける気だよ(怒」と思いつつも、他に代替物もない事から購入者は$100で買わざる得ない。 多くの場合、原油の十分な供給がない事による短期的なダメージは原油価格上昇によるダメージよりもはるかに大きいからである。

また、「$100なんてあくどすぎじゃね? 俺が$70で売るけどどうよ?」という新規参入者が出てくれば、価格高騰は少しは落ち着くわけだが、原油の場合そういう第三者がでる余地は短期的にはかなり限られているし、長期的にも簡単ではない。 

よって先物価格の高騰が投機マネーによるものであったとしても現物価格と先物価格が大きく乖離していくことは考えにくいし、先物市場が現物価格に影響を与えるときに必ずしも貯蔵が増える必要もない。 


尚、このような価格の高騰が起こると、原油の(開発・生産コストを反映した中長期的な)供給曲線は短期的には変わらず、供給量も殆ど変わらないのに価格だけが上がる。 つまり価格x供給量の交点がこの(開発・生産コストを反映した中長期的な)供給曲線から上方へ乖離したところに落ちるわけであるが、これは生産者側に超過利潤が生まれることを意味している。 実際にメジャーを初めとする石油生産者が原油価格の上昇局面で莫大な収益を上げたことは記憶に新しいだろう。 


ではこの状態(価格の高騰)は中長期的には適正な水準へと解消されるのであろうか?


この答えはイエスともノーとも言える。


大幅な超過利潤が生じた石油開発業界には多くの新規参入者が殺到するかもしれないが、そもそも地下にないものは生産できない。 そして、地下にある未開発の石油を所有しているのは通常は産油国であり、彼らは石油開発会社が超過利潤を得ているのを見過ごしたりはしない。 毎年、産油国によって新たな鉱区が多くの石油開発会社に付与されるが、その条件は原油価格の高騰をある程度反映したものになるため、新規に参入した石油開発会社が超過利潤を得る為には権益取得時からのさらなる価格高騰が必要となる。

又、既に原油価格高騰前に油田の権利を有していたとしても安心はできない。 原油価格高騰時に石油開発にかかる税金が超過利潤税のような形で嵩上げされることは全く珍しくない(参照1,2)。


ちなみに、その後、需要が大きくは伸びない中で価格は高止まりし、一方で産油国が莫大な利益を上げ続けているが、これは価格高騰によって増加した産油国の取り分が石油生産に関わる開発・生産コストに組み込まれてある種の固定費用化されてしまったということにも関係していると考えられる。産油国でない国が産油国へと新規参入することは物理的に難しい為、ここにはなかなか競争が生まれえない。 
又、価格が上昇した事による現物の需給への影響も想定の範囲内のものだろう。普通に考えれば価格が上昇しなかった場合と比較すると供給は間違いなく伸びているだろうし、反対に需要の伸びは抑えられているはずである。実際にhimaginaryさんの別のエントリー(参照)によれば原油価格の高騰がピークを迎えていた2007年第4四半期から2008年第2四半期にかけては世界的に供給は増加した一方、需要は減少していたらしい。これは先物市場とは関係なく現物の価格が需給によって上昇していったという主張とは合致しないだろう。


つまり先物市場での投機の拡大が要因となって原油価格の高騰が起こった場合、短期的には供給者に超過利益が生まれ、中長期的には産油国側の取り分が増えた形での新たな需給バランスが生まれるというのが筆者の理解ということになる。 (もちろんこれは様々なルートの中の一つであってこれだけで価格が決まっているということを書いているわけでは無い。為念)


一応念のためもう少し先物市場での少しそれぞれの動きを追ってみると以下のような感じになるだろう。

  • 先物市場にロング(買い)で入った投機資金に対し、生産者は生産量の一部をショートし(売り)価格をヘッジする。
  • 投機資金は主にネットポジションでロング寄りに流れ込んでくる(特に上昇局面では)為、先物市場の需給は投機資金が流入していない場合と比較するとタイトになり価格は上昇する。 
  • この先物価格の上昇が現物価格に反映されると、生産者(と産油国)は大きな利益をあげる事が出来る。 
  • 但し、原油価格の急上昇局面で生産者が超過利潤をあげられるのは現実の原油の販売においてであり、先物市場では価格ヘッジとしてショートした分は損をする事になる。 先物市場ではネットポジションでロングになっている投機筋が大きな利益をあげる。


まあ、こう書いてしまえばたいした話では無いが、特に4つ目が理解できていないと、なぜ機関投資家が上昇局面でこぞってロングで先物市場に殺到するのか理解できず、大儲けしている投機筋の裏には大損している投機筋がいるだけという現実とかけ離れた話に帰着してしまう恐れがある。

価格上昇局面においては投機筋から先物市場へのロングサイドでの資金流入が更に価格を上昇させ、価格ヘッジの為にショートしている生産者から利益を上げ続けられ、一方で生産者は生産者で現物価格がどんどん上昇すれば先物市場で損失を出したとしてもトータルでは大きな利益を得られるし、もし逆に振れても一定の利益が確保されるわけで、ショートでの価格ヘッジをやめる理由にはならない。だからこそ投機資金のコモデティ先物市場への流入が一方向的に起こるのであり、投機筋には投機筋の勝算、合理性があるわけである。


つまりこの例は市場の参加者が合理性をもって行動した結果として全体の効用が毀損される例で、その弊害が自律的に解消されたりはしない問題ということになる。よってその弊害が看過できないものとなるのであれば、それを解消するために規制のような手段が必要になるという事になるだろう。



[追記]
一点付け加えれば、そもそも先物価格が現物価格に反映されるルート自体はそれほど重要ではない。そういう「期待」さえあれば、別に強力な伝播ルートが無くても上昇する。 原油価格の問題の特殊性はむしろ一時的に上昇した価格が産油国の取り分の増加という形で市場での競争と関係ないところで固定化される(供給曲線が上方に移動する)仕組みがあることかもしれない。 この仕組みがある限り長期的には需給がタイトになっていくと予測される原油市場では、先物価格が上昇を続ければ現物の価格も上昇し続けるという予測が成立してしまうため、投機による価格高騰により歯止めが効かなくなる恐れがある。
穀物価格の急騰もバイオエタノールの材料と目されるようになってから本格化したし、結局全てはここから始まっているのかもしれない。 


[追記]
一方で原油価格の上昇を受け、それまで高コスト故に開発されてこなかった大水深油ガス田や非在来型と呼ばれる回収にコストが掛かる油ガス田の開発が進み、そのエリアで期待以上の生産性が得られることにより、需給の緩和が起こる可能性も存在する。 シェールガス革命と呼ばれる非在来型の天然ガス生産の急増とそれによる局地的なガス価格の下落はその一例と言える。