クルーグマンの「オーストリア学派」批判について

クルーグマンがNYTのブログでいつもの共和党批判を行っているが、今回は返す刀でオーストリア学派をディスっている。


参照: G.O.P. Monetary Madness 
http://www.nytimes.com/2011/12/16/opinion/gop-monetary-madness.html

和訳:「共和党のトチ狂った金融政策論」(by 道草様)
http://econdays.net/?p=5495


その概要は

  • 新たに注目を集め始めている共和党の大統領候補、ロン・ポール下院議員はオーストリア学派の信奉者を自認しているが、彼らのイデオロギーは現実を無視しており、今回の金融危機に関してもやはり間違っていた。
  • 彼らは金融の拡張策に反対であり、それは壊滅的なインフレを必ずもたらす、或いはハイパーインフレをもたらす可能性すらある、と主張していた。
  • ところが現実にはバーナンキ議長によってリーマンショック以降マネタリーベースは3倍にまで拡大されたが殆どインフレは起こらなかった。
  • でも彼らは自分が間違っていたなんて認めようとしない。 そして「これほどまでに自分の信念の体系の核心部分でここまで完全に見当が外れたなら、オーストリア学派は人気を失うはずじゃないの」と読者は思うだろうが、そうはならなかった。


というものであるが、クルーグマンが指摘するような事実を元にしても「自分が正しく、オーストリア学派は間違っていた」という結論を主張するのは流石に我田引水が過ぎるように筆者には思われる。


筆者はクルーグマンがオーストリア学派として名前を挙げているピーター・シフ氏などが何を主張していたのか詳しく知っているわけではないが、オーストリア学派の経済観を有する識者として、ニコラス・タレブ氏がQE2を批判していた内容(以下参照)についてはなるほどと思ったのでよく覚えている。 

  • (バーナンキ議長を含む)経済学者達は非線形のリスクというものを全く理解してこなかった。
  • バーナンキ議長はFRB理事として今回の金融危機を引き起こした張本人の一人であり、その人間が同じ経済観にたって金融政策の舵をとりつづけているのはおかしい。
  • FEDはどんどんお金を刷っても尚インフレになっていかないのを見てまだまだ大丈夫だと言うが、それは依然として非線形のリスクを理解していないということである。
  • 例えばケチャップの瓶をさかさまにして底を何度も叩いてもケチャップは全く出てこないかもしれない。 しかし、あるときケチャップは瓶からあふれだし、ポテトフライだけでなく、テーブル中をケチャップだらけにしてしまうだろう。それが非線形のリスクである。


ここでタレブ氏が指摘しているのはQE2(量的緩和政策)の持つ非線形なリスクであり、QE2をやったら線形的に高インフレになるというような指摘ではない。(そうであれば、インフレ率の推移を見ながら「壊滅的なインフレ」になる前にQE2の規模を調整すればよいだけであり、誰にとっても心配する必要は大して無い。) ここで指摘されているのは上記の例にあるようにケチャップの瓶をさかさまにして振りまわしても、なかなかケチャップは瓶から出てこないかもしれないが、振り続ければある時一度にあふれ出してきてテーブル中をケチャップだらけにしてしまうというような類のリスクである。

つまり現時点でインフレ率が上がっていなくても、別に「信念の体系の核心部分でここまで完全に見当が外れた」なんてことは全く言えないことになる。


こういった「リスク」を前面に押し出すような論法ではそもそも予測が外れるなんて事は無いからインチキだ!みたいな反応もあるかもしれない。 しかしタレブ氏はその経済観に基づいて、2007年からの金融危機を予測し、実際に巨額の利益を上げた実績がある。 当時、グリーンスパンFRB議長の金融政策がいずれ危機をもたらすだろうという警告は今と同様に無視されていたが、結局金融危機は起こった。 そしてバーナンキ現FRB議長も2002年からFRB理事を務めており、タレブ氏が警告していた「非線形」なリスクを理解できていなかった経済学者の一人ということになる。 


2008年に英国の女王陛下が「なぜ多くの経済学者が誰1人として、信用危機を予測できなかったのですか?」 とロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で質問された事が話題になったが、少なくともタレブは予測し、実際に関連ファンドもそのポジションを取って利益を上げたし、多くのオーストリア学派の経済観を有する経済学者もタレブほど明確に予測していなかったとしても信用危機が起こったことについては特に驚きはしなかっただろう。

グリーンスパン議長(そしてバーナンキ理事)に率いられていた当時のFRBの手法は政府・中銀が逐一市場の声を聞き取って金融政策を調整することによって経済をコントロールしようというもので「マネタリー・ケインジアン」と称されたこともあったらしい。 そしてオーストリア学派的には「このようなやり方はいずれ破綻するだろう」という見方こそが「信念の体系の核心部分」のはずであり、残念ながらその予測は全く正しかったわけである。 


では逆に金融政策を重視するリフレ推進派の「信念の体系の核心部分」はどれだけ当たったのだろうか? クルーグマンが取り上げているのは危機を起こしてしまった後の対応部分についてである。 危機を起こしてしまった後の対策の効果について危機が去ったとは全く言えない段階で議論しても意味が無い面は否定できないが、以下少し考察してみる。


アメリカではタレブ氏が指摘するところの「(非線形的な)リスクを理解できずに既に一度飛行機を落としたことのあるパイロット」であるバーナンキ議長が推進した金融政策によってマネタリーベースは3倍にもなり、一時的に急落したインフレ率は3%近くまで戻った。 しかし失業率は高止まりしたままでありインフレ率も景気の先行きが不透明なことを反映してディスインフレ傾向にすらある。 

つまりマネタリーベースを増やせば期待インフレ率が上がって消費、投資が活性化し、失業率も下がり、景気も自律回復して追加的な金融緩和を行わなくてもインフレ率も自然と維持・上昇してくるという「お話」は、数年掛けてマネタリーベースを3倍まで増やしても、尚実現したとは到底いえない状況ということになる。 

そしてここで留意すべきはこの「体系の核心部分」はリフレ推進の論拠となる主張が正しいのであれば、より着実に効果が現れていてもおかしくない(或いは、現れているはず)ということである。 つまり「期待インフレ率が上がればみんなが現金を持っていたがらなくなって消費が増え、景気が良くなる」というようなお話や「実質金利が下がれば投資が増えて景気が良くなる」みたいなお話は文字通り受け止めれば線形的な効果が期待できるもメカニズムであり、そうであれば実際に期待インフレ率が回復し、実質金利も大きく下がった米国や英国等は今頃は自律的な景気回復への道のりを力強く進んでいたはずだということである(もちろん現実は全くそうはなっていない)。


まあ効果が現れるにはタイムラグが必要だ、みたいな話は完全に否定するわけではないが、3年掛けてマネタリーベースを3倍にまで増やした効果がこの程度なら、むしろこの金融緩和万能主義的な主張こそそろそろ人気を失うんじゃないかと思うんだが、そういうこともなさそうである。 (あと、「やらなきゃもっと酷いことになってたはず」系の話もいつものようにここでも有効ではある。 まあ現在の米英の状況も十分に酷いわけだが、もっともっと酷くなっていた可能性だって否定はできない。 でもそこまで酷い金融危機を起こしたのが(かなり控えめに言っても「防げなかったのが」)誰かって考えれば金融政策万能主義者にとってもたいした慰めにならないはずなんだが?)


もちろん上記の各論については立場を変えれば別の解釈も可能だろうし、又筆者は必ずしもオーストリア学派を支持するわけでもないが、少なくとも今回の金融危機の発生とその後の推移をみた時にオーストリア学派的な経済観が「信念の体系の核心部分でここまで完全に見当が外れた」なんてことをその支持者が思うことは全く無いだろうし、むしろその確信を強めている可能性のほうが強いのではないだろうか?。



[追記]
クルーグマンはゼロ金利下では金融ではなく財政による景気刺激こそが重要という立場だから、バーナンキ議長の金融政策で大して効果が出ていないことはクルーグマン的には「予想通り」ということになるのだろう。 ただ一方でクルーグマンの財政出動重視的な主張もギリシャから始まり、プライマリーバランスがほぼ達成されていたイタリアなども巻き込み、更にユーロ採用国では無いハンガリーなどの周辺諸国にまで広がりつつある現在進行形の政府債務危機を目撃している世界中の人々にとっては以前ほどの説得力はないのではないだろうか?