経済とギャンブルの”必勝法”の違いについて

経済にフリーランチが存在しないと言われるように、一般的なギャンブルでも必勝法は存在しないとされている。


親(胴元)が存在するギャンブル全般に言えることであるが、そういったギャンブルは一回あたりの期待値がマイナスになっており、回数を増やせば増やすほどその結果は予測値(一回辺りの期待値(マイナス)x 回数)に収束していく。つまりやり続けていればほぼ確実に負けることになる。 この背後にある「大数の法則」は絶対的なものである。 


では先日のエントリー(参照:経済政策でギャンブル("倍掛け")しようとしているのは誰か?)で少し紹介したマーチンゲール法などの"いわゆる"「必勝法」とは一体なんなのだろうか?


マーチンゲール法は単純化すればルーレットで赤(or 白)を当たるまで掛け金を2倍にしながら貼り続けるというような方法である。

この場合、1000円から掛け始めるとすれば勝った時には必ずプラス1000円になっている。 例えば3回外して4回目で当てた場合、それまでに外した合計は1000+2000+4000で7000円、4回目の掛け金は8000円なのでここで勝てば差し引きプラス1000円である。

しかし仮にこの賭場の最高掛け金が32000円だとすれば、6回続けて外せばこのシステムを続けることが出来なくなる。 6回続けて負ける確率は1/64であり、この場合のマイナスは計63000円となる。 つまり63/64回は1000円勝ち、1/64回は63000円負けるわけであり、期待値は当たり前であるが"ゼロ"である。 (実際には赤でも白でもない親の総取り目(0,00)がある為、期待値はマイナスになる。)

つまり負けた場合のマイナスを大きくする代わりに確率を低くし、試行回数が少ない場合に(頻度的な)勝つ確率をあげることがこの「必勝法」の主眼なのである。


ところが、ここに勘違いが起こる余地が生まれる。 あるシステム(必勝法)で高い確率で勝ちを収めたとき、実際には潜在的な「大負けリスク」がたまたま顕在化しなかっただけであることを見誤り、「これこそが必勝法である」と思い込んでしまうのである。


こういった勘違いの例について谷岡一郎氏の著作「ツキの法則」には以下のようなケースが紹介されている。

名前は伏せておくが、手元にあるバカラの必勝法の本の著者は、約10万ポンドの元手で毎回1000ポンド勝つことを目標に1年間カジノへ通い続け、どうしても1年に4-5回大きく負ける日が存在することに頭を悩ましている。 そして到達した結論は次のようなものである。 「この魔の日を何とかすることができれば、私の必勝法は完全なものになる。」と。


読者の方はもうおわかりだと思うが、10万ポンドの元手で1000ポンド勝つ(元手の100分の1)ことは簡単であろうが、1000ポンドずつ365日続けて勝つことはまず無理なことなのである。 なぜなら大自然の真理「大数の法則」による回帰効果、すなわち潜在的なマイナスが顕在化するからなのである。


先日のエントリーでは「拡張的な財政・金融政策」をマーチンゲール法的な「倍掛け」に例えたが、こういった錯覚を起こしやすい部分も似ている。 当たり前であるが積極財政が常に財政危機を起こしたり、金融緩和が常にバブルを起こしたりするわけではない。 もしそうならどんな人間もそんなものを経済政策として主張したりしない。 それらの政策は多くの場合そこそこうまくいくかもしれないが、稀に「大負けリスク」を顕在化させ、そして一旦「大負け」すれば、それは景気の「後退」では収まらず、「破綻」「崩壊」的な深刻な事態を引き起こすことになる。 この前提に立てば「金融緩和が常にバブルを引き起こしてきたわけではないから、金融緩和はバブルの原因ではない(キリッ」 みたいな主張は的外れということになる。

又、ギャンブルでの「倍掛け法→大負け」という関係は相関で計れるような関係(線形)ではないが、確実に存在している関係である。 たとえ(頻度的な) 確率がいくら低くても、低ければ低いだけ負けのダメージは集約されているという事であり、これを忌避すべきという考えに対して「ゼロリスク症候群」と呼ぶのもやはり的外れである。


一方でギャンブルと経済には根本的な違いが存在する。 それはギャンブルがプレイヤーにとっては「マイナスサム」なゲームであることに対して、経済は多くの場合「プラスサム」のゲームであるという事である。 そしてこの違いと「大数の法則」の意味を合わせて考えれば、経済においてとるべき戦略はギャンブルにおけるそれとは180度違うはず(違うべき)であることが分かる。


ギャンブルには「必勝法」は存在しないと書いたが、ある種の「必敗法」は存在する。 それは「大数の法則」が強く働くようなやり方を行なうことである。 1回勝負で全額赤に貼れば47%程度の確率で勝つ可能性があるが、だらだらと小額をルーレットの赤白に貼り続ければほぼ間違いなく負ける。

逆に「プラスサム」の経済ではギャンブルの「必敗法」が「必勝法」となりうる。 出来る限りリスクを分散化して多くのゲームをやることがその潜在的な「プラスの期待値」を顕在化させる方法、つまり「必勝法」となり、逆にマーチンゲール法のような大数の法則から出来るだけ離れて、限られた試行回数内で勝つ確率を上げようとするような手法や、リバース・マーチンゲール法のように短期決戦型で確率は低いものの大きな勝ちを得ようとするような手法は、期待値を下げるわけではないものの、不必要に勝ち負けの幅を拡大させる愚作ということになる。


ここで、この思考実験の結果を経済に落とし込むとすれば経済において取るべき戦略は以下のようなシステムになるのではないかと筆者は考えている。

  • 経済活動におけるリスクは基本的に民間の膨大な数の経済主体(企業・個人)が独自に取る。
  • 政府や金融システムといった一度の破綻が経済全体に大きなダメージを与える主体は高いリターンを目的としたリスクを取らない(取らせない)。
  • 経済システム内のゼロサム的なリスクを対象とした投機的なゲーム(FX等)は破綻した場合の影響が最小限となるよう規制する。
  • 民間がとるリスクで、かつ期待値がプラスであっても一ゲーム辺りの賭けが大きすぎるようなリスクテイクはできるだけ抑制されるように(規制や課税等で)誘導する。


最後に念のために書いておくと、当たり前であるが「経済」という複雑な事象をギャンブルの例えで説明しきれるわけではない。 しかし、安易な必勝法(=フリーランチ)が存在しない中でそれが存在するという勘違いが起こる理由・心理や、期待値がマイナス(プラス)の条件下で「大数の法則」が働く場合にどのようなシステムで臨めばどのような結果が得られるかといったような思考実験としてはかなり有用な例えなのではないだろうか。