日本に必要なのはホスピタリティ産業をもっと"国内で"売ることではないか?

Chikirin女史の「今、日本で最も時代遅れな団体=「経団連」」というエントリーと、その提案に反論する山形浩生氏の「日本の優位性がホスピタリティ産業、ですって? ご冗談を。」というエントリーを読んでの感想。


まずChiklin女史の経団連についての以下のコメントは全く同意。 

「日本の雇用が維持できるよう製造業を大事にしろ!」とか言っておいて、景気がよくなれば「人手不足だから、単純労働者の移民を受け入れろ」と言い出すなんて、詐欺師以外の何者でもありません。


で、これはいいとして問題となっているのは製造業の代替産業への提案部分。


Chikirin女史は製造業の代替産業の有力候補を「ホスピタリティ産業」として、「旅行業、小売り業、外食産業、調理法、輸送・配送業、美容業界、事務手続き業、修理業、クリーニング業」を押しているのに対し、山形氏は

「旅行業、小売り業、外食産業、調理法、輸送・配送業、美容業界、事務手続き業、修理業、クリーニング業」が海外展開に向いていて日本に圧倒的な競争力があるなら、なぜすでに出ていないの? というのも当然考えるべき疑問。それは当然、競争力なんかないから。というよりそれ以前の認識がまちがいすぎ。


輸送、配送業が「ホスピタリティ産業」? フェデックスもDHLもマースクも、輸送業はITのかたまり。ちまちました宅配が輸送配送だと思ってるのなら、まったくの見当ちがい。それですらインドのダバワラにおそらくはかなわない。事務手続き業も、しょせん規制にたかる産業でしかない。昔は鮫洲の周辺に免許の申請書をタイプうちする事務手続き業者がたくさんいたけれど、いまは形無し。事務手続きといえば、会計や法律事務所になるけれど、日本はまったく優位性なし。クリーニング業も、各国の地元業者にかなうかどうか。インドムンバイの洗濯カーストをごらん。

と全否定されている。


その便利さの源泉が「ホスピタリティ」なのかどうかはともかく、個人的な何カ国かの海外在住経験からすれば、確かにChikirin女史がリストアップしているような日本の「モノを作っていない産業」は海外のそれらよりも優れている部分が多々ある。 また、日本を知っている外国人の話や、実際に外国人を日本で案内したときの印象から考えると、これらの日本のサービスが外国人にとって意味がないわけでもないはずだ。 逆に海外でのそれら産業のレベルがいかに酷いかについては実際に経験した範囲だけでも幾らでもネタがあるし、日本の企業がこっちに進出してくれれば、と思ったことも数え切れないくらいある。


しかしながら、これらの日本のホスピタリティ(?)産業を海外で売ることの非現実性については山形氏の意見に賛同せざる得ない。 

Chikirin女史も述べているように、これらのホスピタリティ産業の多くは「ニッチなグループの中での高付加価値」ではなく「規模を追求することに経験と親和性がある」タイプの産業であり、富裕層だけでなく一般層にまで浸透する必要がある。 しかし、日本を訪れた外国人がこれらの日本のホスピタリティ産業に感心したとしても、実際に生活の中でそのホスピタリティにお金を払うかどうかは別である。 要は日本人以外はこの「便利さ」に対してそれほど金銭的な付加価値を認めないだろうということである。 


ただ、日本は「モノを作っていない産業(ホスピタリティ産業?)」をもっと重視すべきという事自体には筆者は賛成である。 しかしその売り先はあくまで「国内」を中心に考えるべきだろう。


経団連、或いは大手輸出企業に代表される「資本・技術集約型産業」は一国の経済を先進国化する上で最も重要な産業と言える。これらの企業が外貨を稼ぎ、その外貨で資源をはじめとする様々な物資を輸入することによって日本が豊かになってきたことは間違いない。 しかし、先進国のトップグループに追いつき以前ほどの成長が期待できなくなると、この「資本・技術集約型産業」への過度の傾倒による弊害が目立ち始めることになる。 その弊害の一つは格差の拡大である。 「資本・技術集約型産業」は同じ収益を上げるのに必要な労働力が少ない為、労働力の希少性が毀損され、結果として資本家と労働者の格差はどんどん開いていく。 経団連が言うとおりの施策(TPPや移民自由化等)を進めれば、この傾向は一層加速される事になるだろう。

しかし、豊かな(=人件費が高い)日本において、発展途上国と直接競合するような「低付加価値・労働集約型」産業の多くは長期的に見れば衰退していかざる得ない。 そして「モノ」を作る限り、貿易を通じて競合せざる得ない。 外部性を考慮して、一部の産業を関税や補助金等で残すことは可能だが、成長産業にはなりえない。

これらのギャップを埋めることができるのは「高付加価値・労働集約型」産業ではないかというのが筆者の考えであり、「ホスピタリティ産業」、「モノを作らない産業」とChikirin女史が述べているものの多くはこれに該当しうるのではないかと考えている。 これらの産業が更に成長し労働力を吸い込んで人件費を押し上げれば、サービスの値段も上がるだろうが、国民全体の平均実質賃金も上がり、結果として労働者、消費者双方の面で国民全体の効用を改善するのではないだろうか?


問題は「高付加価値・労働集約型」産業の多くは自由放任主義的環境下では安定的ではなく、何らかの「保護」或いは「規制」のようなものが必要になると思われることである。 


例えば、筆者は「大規模小売店立地法」が成立するまでの地方の八百屋や魚屋などはこの「高付加価値・労働集約型」に近いものだったと考えている。 多くの小売店が小規模の商圏を対象に細々と商売をやっていたわけだが、それでもちゃんと彼らの生活は成り立っていたし、いわゆる地元の商店街も成立していた。 飲食店等の地元の商店街が成立していることによってはじめて生まれる需要もあった。

しかし「大規模小売店立地法」成立後はイオンのような大規模店が日本の地方を席巻し、商店街はシャッター街に変わってしまった。 もちろん値段も品揃えもイオンの方良かったから小売店は駆逐されたわけで、経済の自然な帰結といってしまえばそれまでだが、それで地方の人々の効用は本当に上がったのだろうか?  ヨーロッパの多くの国は依然として「大規模小売店立地法」に相当するものを堅持しているし、日米を見習ってそれを変えようと言う声は殆ど無い。


もちろん「保護」「規制」なしで成立する「高付加価値・労働集約型」産業が自立的に成長していくのがベストであることは間違いない。そういう事例も個別には存在する。 しかしそういった産業を「保護」「育成」することの価値についても日本はもっと意識すべきではないだろうか? 


[追記1]
自由貿易に乗り遅れた上に人件費が上がったりすれば日本経済は終わりだと言われそうだが、そんなことにはならない。 本当に日本経済が終わりなら円が暴落するはずで、円が暴落すれば関税や人件費など関係ないレベルで競争力が強化される。
結局、輸出企業の労働分配率が上がって、利益率が少し下がり、すこし円安になり(或いは円高圧力が弱まり)、格差が少し縮まったあたりで均衡するのではないだろうか? 株主は不満かもしれないが、多くの国民にとってはプラスの方が大きいだろう。


[追記2]
弱い産業を保護して雇用を確保する代わりに社会保障(生活保護等)の拡充やベーシックインカムで対応すべしとの意見もあるだろうが、その場合、一方で重税で無職を養いつつ他方で劣化したサービスを受けることになりかねない。


[追記3]
hamachan氏が同じエントリーに対して「スマイル0円が「ホスピタリティの生産性」?」という記事をアップされていたのについても少し追記。

「高付加価値・労働集約型」イコール「(金銭的に見た)高労働生産性」というわけでは無いのは事実。 本エントリー中の「高付加価値」は生活費の高い日本で雇用を生み、従業員が食べていけて、かつ社会の効用が高まれば「高付加価値」という意味。 (ブログを始めて2本目に書いたエントリー「よい低労働生産性」と同じ趣旨) 

もちろんそれを超えて、「高労働生産性・労働集約型」産業が成長すればより好ましいかもしれないが、そういった産業が一定規模以上に成長するのは難しいだろう。