比較優位の原理は正しくても自由貿易で国民が幸せになるとは限らない

TPPに関連して様々な議論が行なわれているが、賛成派の主張には「TPP=自由貿易」とした上で、比較優位の原理を持ってTPPを支持するものが多い。 これに対する反論の多くは「TPP=自由貿易」ではないというもので、筆者もそういった観点から幾つかエントリーを書いた。

しかしながら、筆者は比較優位の原理に基づいて自由貿易、或いは国際分業を無条件に支持する主張自体にも疑問を感じている。もちろん歴史的にみて世界的な低関税化による国際貿易の拡大が少なくとも先進国と一部の発展途上国を豊かにしてきたことは間違いない。 しかしあらゆる国が今すぐ全ての関税を撤廃して自由貿易を実現するのが国民の「最大多数の最大幸福」を実現するベストな方策であるのかどうかについてはそれほど明らかなことではないと考えている。


そもそもTPP賛成派の論者の多くが示す比較優位による自由貿易・国際分業のメリットは「全体的な生産性の増大」つまり「総生産量の増大」につきる。比喩を使ったり、簡単な計算結果を示したりして自由貿易による国際分業が両者に対してメリットがあるという事を、「(彼らの考えるところの)比較優位を理解できない人」に説明しているが、どの場合でも示されているメリットは「総生産量の増大」であり、逆に言えばそれ以外のメリットが示されているわけではない。 

以前にアダムスミスの「神の見えざる手」について取り上げたエントリーでも触れたが、経済学が歴史的に直面してきた最大の課題は供給力の不足であり、過去の殆どの期間については確かに「総生産量が増大する=絶対的なメリット」と考えてもよかった。しかし、少なくとも現在の先進国においては需要の制約(不足)が経済における主要な問題となっており、生産量の不足は大きな問題とはなっていない。

そのことは先進諸国の若年層失業率の推移をみればわかる。 言うまでもなく先進国はそれぞれ比較優位の産業を有しており、日本なら自動車や素材産業がそれにあたるのだろうが、失業率が高くてもでは比較優位産業に余った労働者を集中させて総生産量を増大させよう!とはならない。 そんなに作っても世界のどこにもそれに見合う需要が存在しないからである。


また、「量」の増大に重きを置いているということは質については特に考慮されていないということでもある。 アインシュタインと秘書の例になぞらえれば、もしアインシュタインが物理学で秘書の2倍、タイピングで秘書の3倍の能力(生産性)があれば秘書が物理学をやってアインシュタインがタイピングをしたほうが「総生産量」は最大化されるということになってしまうが、もちろんそんなことは起きない。

もう一つ付け加えるなら、上記の例は比較優位に関する誤解?についても示唆している。アインシュタインがタイピングをやった方が総生産量が増大するとしても、物理学にも絶対優位をもつアインシュタインは物理学を選ぶことが出来るし、さらに言えば、もしアインシュタインが音楽家の道を選んだとしてもそれで食べていける限り、だれもそれを止めることは出来ない。 

比較優位はごく単純なモデルを用いて特定の国際分業が総生産量を最大化するという事を示すが、別にそうなるべき必然性は存在しない。つまりこの原理を使う多くの人間は「経済において自然と導かれる均衡状態」を説明しているのではなく、「こうすれば総生産量が最大化するんだから各経済主体はそうすべきだ」という教条的なものを示しているにすぎないということであり、各経済主体はすべからくこれに従うべき、なんてのは自由どころか計画経済的ですらあるような気がする。


次に仮に比較優位のメリットを額面どおり「総生産量の増大」として受け入れたとしても、現在の日本が拙速に自由貿易化を進めるべきかどうかという点についてはやはり疑問が残る。


まず失業の問題がある。 関税撤廃・自由貿易化を進めることによって輸出・輸入共に1兆円増えた場合、雇用に与える影響はどのようなものになるだろう? ざっくり言えば日本の比較優位産業は技術・資本集約型産業であり比較劣位産業は労働集約型産業である。 技術・資本集約型産業で生産量を1兆円増やすために必要な労働力と労働集約型産業で売り上げが1兆円減ることによって余剰となる労働力のどちらが大きいかは明らかではないだろうか。 雇用の流動性以前の話として必要となる労働力の総量が減るのだから少なくとも短中期的にはまず間違いなく失業率は上がるだろう。

尚、農業などの労働集約型産業が比較優位である場合は、逆に失業率が下がる可能性が高い。 実際に米国政府がTPP推進の目的の一つに雇用の改善をあげている一方で日本ではTPP推進派ですら雇用の改善をメリットの一つにあげる人間には殆どお目にかかれないのはこういった非対称性があるからだと考えられる。

又、農業以外でも失業者が発生する可能性は高い。 推進派の池田教授も指摘していたように、「アジア各国で関税や投資障壁がなくなると、日本から海外に生産拠点を移すことが容易になる。これは企業収益にとってはプラスだが、国内の雇用にとってはマイナスである。」という事になる。 例えばこれまでは日本国内で生産し、国内で消費され、国内で雇用を生み、同時にそれなりの収益も確保できていたような企業でも、「これからは海外で作った方がもっと儲かるから海外で作ろう!」となるわけである。 いわゆる「空洞化」である。


又、こういった失業増加圧力については「日本は発展途上国と市場を争うような産業からは足を洗ってもっとクリエイティブな仕事に注力すべきだ」みたいな言説もあるが、これも的外れに感じる。 日本の比較優位産業が自動車産業だとして、自動車産業の仕事が農業よりクリエイティブとは必ずしも言えないだろう。 日本で自動車産業が比較優位である理由の大部分は資本+技術の集約にあって、そこで働く労働者全てがクリエイティブに能力を発揮しているからではない。個人レベルではむしろ零細農家の方が経営から技術面に至るまでより幅広い知識、能力が必要とされる面すらあるのではないかと思う。(クリエイティブというのを単に労働者一人当たりの"企業の"利益という点で評価するなら、確かに自動車企業の単純労働者の方が農家や中小企業の経営陣より「クリエイティブ」と言えるかもしれないが、)

しかも、比較優位産業が生産量を増やすとしても、それによって国内で増加する仕事の多くは実際には自動車メーカーの社員ですらなく大部分が派遣社員ということになるだろう。 これらの企業にとって生産量を単純に増やすのに必要なのは設備投資と若干の単純労働力であり、正社員を増やすインセンティブがあるようには見えない(全体として失業率に上昇圧力がかかっている場合は特に、)。


こういった分業による集中化が更に進めば、市場の寡占化や国内での格差の拡大も問題となってくるだろう。 関税撤廃で潤うのは供給サイドでは比較優位産業であり、国際分業が進めば進むほどその産業に富が集中することになる。 しかも、上記の通り国際分業による生産の単純な増大に必要なのは設備投資と単純労働力であり、これに必要な資本を提供する人間、つまり資本家に富が集中する流れが加速されることにもなる。 実際に米国などでは企業の売り上げが増加しても雇用はあまり増えず、実質賃金は停滞し、残った利益は内部留保や配当や自社株買いによる株主への分配に使われるという傾向が強まっている(参照米国における経済格差拡大の推移)。



最後に念のために書いておけば、これらの話は「比較優位の原理」の否定ではない。 

これらは関税撤廃・自由貿易化が「総生産量の増大」というメリットと”同時に”引き起こすのではないかと思われる事象について列記しているだけである。 どのケースでも自由貿易によって総生産量が増加することは否定しておらず、「総生産量の増大=絶対的なメリット」と考えるなら、ここでも確かに比較優位の原理に基づく自由貿易推進論は成立している。 ただし、それが国民の幸福を増大させることが「明らか」かといえば、筆者にはそうは思えないのだが、いかがだろうか?


[追記]
ちなみに外圧を使って国内の既得権益を打破することもメリットの一つだというような話もあるが、そういう人は日本の最大の既得権益層は「日本国籍を有する全ての人」、つまり日本国民全体であることを理解していない。 

以前にも書いたが、日本のマクドナルドの店員が発展途上国のマクドナルドの店員より相対的に豊かな暮らしが出来るのは、日本で働く権利を有しているからである。TPPを推し進めようとしている経団連は同時に移民の受け入れにも前向きな姿勢を示しているが、それらは結局「日本国民という既得権益層」を打破することによって比較優位産業の総生産量の増大を狙おうという話である。 総生産量の増大が全てに優先するなら間違っていないが、本当に日本国民が享受しているこの「既得権益」を毀損させてまで比較優位産業の生産量を増大させることが良い事なのかどうかは冷静に判断すべきだろう。


[追記2]
比較優位による自由貿易の推進が国を豊かにする例として韓国が挙げられている主張を幾つか見たが、それは違うんじゃないだろうか?

韓国は今でこそ自動車の輸出国であるが、当初から自動車が比較優位産業であったわけではなく、高関税戦略で国内市場において海外企業との競争から自国企業を保護したり、通貨安政策で輸出を後押ししたりして先進国に追いついてきたはずである。 韓国の例はむしろ保護貿易による工業国化が発展途上国から先進国へとなる為に有効な施策だったことを示しているとも言える筈である。 

比較優位の原理はリソースを比較優位産業に集中することの価値を示しているが、比較劣位産業を比較優位産業に育てることの価値についてはその範疇外である。 よって比較優位の原理だけを文字通り原理主義的に肯定するなら「バナナ共和国は工業化なんて考えずにずっとバナナだけ作ってろ」というような暴論を導きかねない面がある。

むろん、日本を含め工業国の発展は国際貿易の拡大がなければ成し遂げられなかったことは確かであるが、その国際貿易は関税付の国際貿易であって、原理主義者が唱える所の「自由貿易」ではなかったし、そもそもそんな「自由貿易」など歴史上一度も実現したことがなく、それでも世界は十分にまわってきたわけである。



[参照]
2011-11-21 自由貿易国メキシコの悲惨な教訓
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20111121/1321851430


自由貿易(NAFTA)がメキシコにもたらしたものについて興味深い記事が出ていたので引用。

NAFTAは、メキシコが必要とする雇用増加の速度に見合った雇用創出には寄与していない。1994年から2000年の間に海外直接投資やポートフォリオ投資、生産性の上昇により、製造業で50万人の雇用が新たに生まれた。しかし、メキシコの全就業人口の20%を占める農業部門では、130万人が仕事を失った。

米国からの輸入増はメキシコの農民の生産を圧迫。農民の4割にあたる250万人が離農し、その多くが職を求めて米国へ渡っていきました。

NAFTAの効果で、移民は減少すると宣伝されていたが、実際には移民は年間20万人から60万人へと急増したのです。

メキシコではGDPは伸びても、雇用が悪化し、実質賃金は下がり、一部の企業に利益が集中しているという事実がある。 

この記事への反論にもあるように日本とメキシコはもちろん色々な点で異なっている。 しかしTPP推進派のロジックに「自由貿易がメリットをもたらす前提条件」についての理論、つまり「メキシコではダメだけど日本ではOK」というような理論がまともに含まれているのは見たことが無いことを考えると、「日本とメキシコは違う」という話は説得力がないのではないだろうか?